語用論的転移と日本語教育
2016-10-21陈蒙
【摘要】在第二语言的学习中,语言能力除了语音语法知识外,还应该包括学习者在具体的语言使用中如何正确运用符合具体的语言环境的目标语言的能力。其中后者被称为语用论的研究。语用论的研究跟如何定位学习者密切相关。在本篇文章中,围绕语用论研究中语用论迁移的内容,以对日语学习者的不同定位为标准进行了考察。考察的结果是针对不同阶段,能力不同的日语学习者,应该进行不同的定位,以此采用不同的语用论知识的指导。
【关键词】日语教育;语言能力;语用论;语用论迁移;学习者定位
一、はじめに
言語能力は1960年代半ばまで、音韻、文法生成などの言語構造に関する知識として定義されてきた。Hymes(1972)は言語能力の意味をより広義に捉え、具体的に、?いつ、誰に、どのような状況で、何を伝えるかを把握し、その目的や場面に応じた適切な言語使用をする能力も含む?コミュニケーション能力を提唱した。それ以来、1980年代以降、コミュニケーション中心の外国語教育の分野では、学習者の語用論的知識の研究が進展を見せた(近藤 2009)。日本語教育の分野でもその影響を受け、学習者のコミュニケーション能力を高めることが重要な目的とみなされるようになった。それに従って、第二言語習得研究においては、学習者が?依頼??誘い??断り?などの発話行為をどのような言語形式を用いていかに遂行しているのかを明らかにしようとしてきた中間言語語用論の研究も数多く出てきた(藤原 2006)。本稿では中間言語語用論における語用論的転移の部分を取り出し、それらの研究における学習者観に焦点を当て、考察を行いたいと思う。語用論的転移とは、端的にいうと、プラグマティック·トラスファーであり、藤原(2006)によると、話者が目標言語で発話行為を行う際に自身の母語の様式を用いるのではないかという見方を指す。
本稿の構成は、第2節では、今まで語用論的転移の持つ学習者観の歴史的流れを概観し、それぞれの問題点をまとめる。第3節では、これらの学習者観の研究をどのように日本語教育に生かすのかについて考察する。
二、語用論的転移の持つ学習者観の概観
1、従来の学習者観——母語話者規範主義の学習者観
(1)母語話者規範主義の学習者観
母語話者規範主義は母語話者の言語能力を規範に置き、その規範と照らし合わせて非母語話者の言語様式を逸脱と見なし、第二言語学習者が母語話者と比べ、その能力が限定された言語話者であるという学習者観を持っている。この見方に基づき、第二言語習得の目標は非母語話者が目標言語の母語話者の話す言語を基準とし、自分の第二言語能力を母語話者に限りなく近づけることにある。すなわち、母語話者規範主義において、第二言語學習者は母語話者のいわゆる規範的な話す言語を一方的に受け入れる受動的な存在である。
(2)母語話者規範主義の問題点
藤原(2006)によると、母語話者規範主義の問題性は以下のようにまとめられている。
①母語話者規範主義をもとにする第二言語習得研究が、第二言語話者を能力の限定された?欠陥のある伝達者?と扱ったことに問題がある。
②Kasper(1997)により、母語話者が均質な存在ではない点など母語話者規範主義の妥当性に対する疑いがある。
2、学習者観の発展-受動的から能動的へ
従来の母語話者規範主義の問題点に対し、最近の研究では、第二言語習得の目標を目標言語への同化とする把握を転換させ、より積極的に捉え、第二言語習得の目標は第二言語話者による友好的対人関係を築き上げることに置く傾向が見られてきた。つまり、第二言語習得の目標を同化から円滑化へ、学習者を受動的から能動的へといった捉え方の変化が見られる。ここでは、学習者の能動性·主観性を主張する岡崎(1995)とSiegal(1996)に指摘された語用論的転移における学習者観を挙げたいと思う。
岡崎(1995)では、韓国人日本語学習者の語用論的転移を調べた結果に基づき、第二言語学習者を?第二言語の学習者は単なる習得上の規則の受け入れ皿という客体的な存在としてではなく、受け入れ文化側の話者との間に積極的に円滑な関係を作ろうとして行動する主体的な存在?として把握されている。
Siegal(1996)では、ある日本語学習者の第二言語を使用する際の社会言語的能力を継続的に観察した結果から、第二言語学習者は第二言語を用いる際に、その社会において自分自身がどのような立場にいるのかを理解し、自身の社会的アイデンティティを自ら交渉する能動的な行為者であるという学習者観が主張されている。
この二つの学習者観に共通しているのは学習者が受動的な存在ではなく、自分の主観性を持つ能動的な存在ということを強調していることである。
三、考察
1、語用論的転移のもつ学習者観の研究が日本語教育への活用
コミュニケーション中心の第二言語習得において、語用論的転移の研究を言語教育にどう生かすのかということは、英語教育における実践の研究が見られてきた。近藤(2009)では、英語学習者は単なる受身の学習者であることに留まらず、積極的に自ら言語を分析し新たな発見をすることによってメタ語用論的見方ができるようになるという学習者観のもとに、語用論的知識の指導として、?明示的教育??意識付けの方法?といったインプットまたコミュニカティブな練習によるアウトプットの実践が効果的であると述べられている。
一方、日本語教育において、このような学習者観を語用論的知識の教育実践とつなげる応用の研究はまだ見られないような現状であるといえる。ここでは語用論的転移の持つ学習者観の研究を日本語教育に応用する提案を試みようと思う。
2、母語話者規範主義の学習者観
母語話者規範主義には問題点が存在するのは確かなことでありながら、必要となる点もある。すべての言語は固有の社会と文化で用いられる。ある言語で例えば?依頼?をする場合、その言語の社会文化の規範の制約を受けている。しかし、この規範は文法的な規範と異なり、必ずしも明確に記述されていないもののほうが多いだろう。そのため、母語話者の使う言語からまとめるしかない。均質な母語話者が存在しないことは事実でありながら、多数の母語話者の一般的な使い方をまとめられないわけではないであろう。教室でよく耳にする?日本人は普通そういう言い方はしない?というような先生の指導はやはり母語話者の話し方を規範としているのであろう。また、もし日本語教育の現場で、日本語母語話者の使い方を規範としないと、学習者の使い方をどのように判断するのかは難しくなるに違いない。そのため、日本語教育の現場では、特に学習者が初級の段階では、学習者に母語話者の話す言語を規範とすることは必要であると思っている。なぜならば,第二言語習得の初級にいる学習者は第二言語の語用論的知識に乏しく、?能力不足の伝達者?であることは事実であるから。すなわち、母語と目標言語の語用論的な違いを明示的に意識させないと、母語の語用論的知識をそのまま目標言語に持ち込んで使い、誤解やコミュニケーションに支障を招く恐れがある。目標言語の語用論的な違いを明示的に意識させるために、第二言語母語話者の使い方を規範として、學習者の母語との比較と通し、その違いを意識させることは第二言語の語用論的知識を身につけるのに効果的であろうと思う。
3、主観性·能動性のある学習者観
コミュニケーション中心の第二言語習得において、言語学習の目標はネイティブスピーカーと並びの言語能力を身に着けることではなくなり、言語学習ということを通し、目標言語に新しい自己形成を目指すことにある。その新しい自己形成は、単に母語話者の話す言語を照らしながら自分の言語を規範するだけでは不十分であり、自分が円滑な関係を能動的に構築しようとする自分の発話規範が形成されて初めてできるものである。そのため、第二言語学習者、特に中上級の学習者は実際の発話を目標言語の規範に完全に合わせるのではなく、自分のアイデンティティを保ちながらも相手に誤解を与えない程度の気配りをしながら発話ができるように努力しようとすべきではないかと思う。日本語教育の現場では、中上級の学習者を対象とする場合、語用論的知識を指導するには、ある発話場面で?母語話者がそうする?と教えるより、この場面で自分がどうするかと考えさせるように、学習者の能動性を高められるような活動のほうに中心をおいた方がいいではないかと考える。
四、おわりに
以上見てきたように、語用論的転移における学習者観は受動的な母語話者規範主義学習者観と能動的学習者観とに大別されている。この二つの学習者観は対立しているものではなく、学習者のレベルおよび目標により、この二つのどちらかをとるか、また、両方が同時に存在する場合があると思う。
日本語教育の現場でも学習者の段階また目的により、適切な学習者観をとり、それに基づき、具体的な指導を行うべきだと思っている。本稿では応用の提案はまだ実証の段階に至っていないため、今後の課題として実験や調査などによる検討が必要である。
【参考文献】
[1] 岡崎眸. ?日本語学習者における語用論上の転移再考?[D]. 『東京外国語大学論集』第50号, 1995.
[2] 藤原智栄美. ?社会文化の接面に立つ学習者を理解する?[J]. 『文化と歴史の中の学習と学習者』凡人社, 2006.
[3] 近藤佐智子. ?中間言語語用論と英語教育?『Sophia Junior College Faculty Journal』, 2009,29.
【作者简介】
陈蒙(1985—),女,重庆南川区人,四川外国语大学大外部讲师,硕士研究生学历,主要研究方向:日语教育。