《论语》日译(23)
2012-04-24河南师范大学刘德润
河南师范大学 刘德润
皇学馆大学 刘淙淙
七,子曰:“君子无所爭,必也射乎!揖让而升,下而飮,其爭也君子。”子曰はく、君子は争ふ所無し。必ずや射し い くん し あらそ ところな かなら しゃ ゆうじょう のぼ くだ の そあらそくんし①か。揖譲して②升り、下って飲ましむ③。其の争ひや君子なり。現代語訳――孔子がおっしゃった。「君子は何事にも争わない。あるとすれば、弓争いだろう。それにしても会釈し譲りあって堂に登り、競技を始める。競技が終わると、堂から降りて、勝者が敗者に酒を飲ませる。」
注释
①「射」,在堂上举行的射箭比赛,古时天子、诸侯选拔人才的礼仪。
②「揖譲して」,文语「サ」变自动词「揖譲す」。拱手行礼,表示尊敬。
③「飲ましむ」,文语四段他动词「飲む」的未然形「飲ま」+文语使役助动词「しむ」。
白话文翻译——孔子说:“君子遇事不争。要说争的话,那就是射箭比赛了。先拱手行礼,再登堂较量。比赛完毕下堂,胜者让败者饮酒。”
八,子夏问曰:“‘巧笑倩兮,美目盼兮,素以为绚兮’。何謂也?”子曰:“绘事后素。”曰:“礼后乎?”子曰:“起予者商也。始可与言《诗》已矣。”子夏問うて曰しか と い こうしょう せん びもく へん そ もっ けん な なん いひ し い え ことすはく、「『巧笑 倩たり、美目 盼たり。素以て絢を為のちいれいのちしいよおものす』① とは、何の謂しょうはじ ぞや②。」子曰はく、「絵の事とも し いは素より後にす。」曰はく、「礼は後か。」子曰はく、「予を起こす者は商③ なり。始めて与に『詩』を言ふべきのみ。」現代語訳――子夏が尋ねた。「可愛い笑顔で、美しい目が気品に満ち、美人の顔つきがあって更に白おしろい粉で化粧をする」という詩は、どういう意味でしょうか。孔子がおっしゃった。「絵というものは先ず胡粉で地塗をして、色彩を施すものである。」子夏は「では礼は仁の後に生まれるものですか。」と尋ねた。孔子がおっしゃった。「自分を啓発してくれたのは商だよ。それでこそ、一緒に『詩経』を語ることができるね。」
注释
①「 巧笑倩兮,美目盼兮,素以为绚兮」,此诗句的前两句出自《诗经·卫风·硕人篇》,后一句已经散失。“倩”,美丽,美好。“盼”,眼睛黑白分明。“素”,女子化妆用的胡粉白底。“绚”,色彩艳丽,华丽。
②「ぞや」,文语终助词「ぞ」+系助词「や」。表示疑问或自问。同现代日语「だろうか」。
③「商」,卜商,字子夏。孔子的学生。
白话文翻译——子夏问道:“‘巧笑倩兮,美目盼兮,素以为绚兮 ’,这几句诗歌是什么意思呢?”孔子回答:“绘画时先涂上白底然后再着色绘画。”子夏说:“那么礼是产生在仁之后吧。”孔子高兴地说:“对我有启发的人是卜商啊。现在可以同你一起谈论《诗经》了。”
九,子曰:“夏礼吾能言之,杞不足征也;殷礼吾能言之,宋不足征也。文献不足故也。足,则吾能征之矣。”子曰はく、夏の礼は吾能く之を言しい か れい われよ これ い き ちょう た いん れい われよ これ い そうちょう た ぶんけん た ゆゑへども①、杞た②は徴するに足らず。殷の礼は吾能く之を言へども、宋はすなは われ よ これ ちょう徴するに足らず。文献、足らざる故なり。足らば則ち吾能く之を徴せん③。現代語訳――孔子がおっしゃった。「夏の礼について私は話すことができるが、その子孫である杞の国では証拠が足りない。殷の礼についても私は話すことができるが、その子孫である宋の国でも証拠が足りない。歴史文献が不十分であるから。もし資料が十分なら私もそれらを証明してみせるのだが。」
注释
①「言へども」,文语四段他动词「言ふ」的已然形「言へ」+接续助词「ども」,表示逆接。
②「 杞」,周代诸侯国名,在今天河南开封杞县一带。「殷」,殷商,国都在今天河南安阳一带。「宋」,周代诸侯国名,在今天河南商丘一带。
③「徴せん」,「サ」变他动词「徴す」的未然形「徴せ」+推量助动词「ん(む)」。
白话文翻译—— 孔子说:“夏朝的礼制我能说出来,但它的后代杞国却证据不足。殷代的礼我能说出来,但它的后代宋国也缺乏证据。这是因为文献不足的原因。如果文献充足,我就可以证明了。”