日语偏误分析(2)「後で資料を調べて、そのことをわかりました。」错在哪儿?
2011-04-03日本关西学院大学云丹加措
日本关西学院大学 云丹加措
「わかる」这个动词在室町时期的晚期才出现,通常被看作自动词,造句时要求「NP(名词短语)が」共现,而不能使用「NPを」。因此,一般认为标题的日语是一个错句,应该说成「後で資料を調べて、そのことがわかりました。/后来查了资料,才明白了那是怎么一回事儿」。与标题的日语相同的错句还有:「その名著を読み返すことによって、その深い意味(を→が)だんだんわかるようになりました。/通过反复阅读这部名著后,我才逐渐明白了其深奥的意思。」「たとえ権利を侵害すること(を→が)よく分かっていたとしても、何かできますか。/假设即便是清楚地知道侵犯了权益,可又能怎么样呢?」
据张静和马场俊臣(2005)「日本語と中国語の認識を表す動詞の対応―『知る』と『分かる』の中国語訳を中心にー」(『北海道教育大学紀要』第56巻第1号)的调查,与「わかる」对应的汉语表达方式有几十种,其中最常见的是“知道”、“明白”、“清楚”、“懂∕懂得”、“晓得”。观察这些词的用法可以发现,它们在汉语里都可以看作及物动词,造句时都要求宾语共现。因此,标题例句的错误似乎完全可以看作来自母语的干扰。不过,实际上问题并没有这么简单。
「わかる」属于心理动词的一种。这类心理动词构成的句子需要主语共现时,这个主语在语义上称作「経験者/经历者」,而不是施事者,通常用「は」或「には」来表示,如「君はどうしてそれが分かったのかね。/你怎么会知道这事儿的呢?」「わたしには、そういう気持ちが分からない。/我不明白这种心情」。当句子需要行为所涉及的对象共现时,这个对象通常用「が」来表示。这种用法与「好きだ」非常相似,如「おまえは、加奈子ちゃんが好きじゃないのか。/你不是喜欢加奈子吗?」这是因为「好きだ」类的「ナ形容詞」也具有与「わかる」类的心理动词相同的功能。
但是,「好きだ」涉及的对象除了可以用「が」来表示外,也可以用「を」来表示,比如「やっぱりあなたのことを好きだったからなのかな。/我估计还是因为喜欢你的缘故吧。」(『秘密』東野圭吾)。而且这种用法在年轻人中间已成为一种普遍的说法。既然与「わかる」功能相同的「好きだ」可以用「を」来表示行为涉及的对象,那么,按理说「わかる」同样也可以用「を」来表示行为涉及的对象。我们对YUKANG语料库进行检索后,果然发现存在这种用法。比如:
(1)地元の警察は県民感情をわかるものですから、…/因为当地的警察懂得市民的感情,……(第159回国会予算委員会第三分科会第1号)
(2)尾身国務大臣:確かに、この予算書を見て何人の方がこれをわかるかというと、自分の分野はわかりますが、一般的にはなかなかわかりにくいんじゃないかというふうに思います。/尾身国务大臣:的确,要说看了这份预算报告后,究竟有多少人能够看懂它,我想除了属于自己专业领域的可以看懂外,一般情况下都是很难看明白的。(第166回国会予算委員会第三分科会第2号)
(3)現金給付は中央政府、それからサービス給付は地方政府。今おっしゃるように、地域の実情、子供たちの実情をわかった人たちがサービス給付をすべきだ。だから、そこをチェンジしようとしました。/发放现金由中央政府负责,提供服务由地方政府负责。就像刚才您所指出的,应该由了解当地实际情况、了解儿童实际情况的人来负责提供服务这项工作,所以,我们才要对它进行改革。(第174回国会予算委員会第8号)
上面这3个例句都来自日本政治家在国会上的发言,而且这些发言都记载在具有法律效力的国会记录里,具有一定的权威性。不仅如此,「NPをわかる」用法在小说里也可以很容易地找到。比如:
(4)常識を嫌うあなたをわかることは出来ますが、あなたの才能のためにも生きてほしい。/您讨厌常识,这可以理解,但是,哪怕是为了您的才能,也希望您能活下去。(『灰色の記憶』久坂葉子)
(5)さればまことに豚の心もちをわかるには、豚になって見るより致し方ない。/这样一来,如果要想知道猪的想法,就非得变成猪不可了。(『フランドン農学校の豚』宮沢賢治)
就连使用频率高并制作成电子辞典的『明鏡国語辞典』也承认日语中存在这种用法,只是解释为:「俗に他動詞としても使う。/俗语有时也用作他动词」。如果我们的学生在日语学习的过程中看到或听到「NPをわかる」这种表达方式,并模仿使用,那么,偏误的原因就不完全在于母语干扰,而是来自日语用法和规则的模糊性了。
「NPをわかる」并非孤例,「サ変自動詞」的「反対する」和「賛成する」中也可以观察到相同的用法。比如:
(6)小泉内閣総理大臣:···そういうことを考えますと、民間にできることは民間にということを賛成しながら郵政民営化に反対する方々の理論が、私はなかなか理解できないわけであります。/小泉内阁总理大臣:……如此想来,我就不明白那些一方面赞成民间企业能够做到的事情应该交给民间企业去做,一方面又反对邮政民营化的人的理论了。(第162回国会予算委員会第20号)
(7)私は、合併を反対しておりません、推進しておりますが、···∕我并没有反对合并,而是在推进这个事业 ,······(第 174 回国会予算委員会第12号)
如「本案並びに修正意見に賛成する。∕赞成本方案和修改意见」和「この法案には絶対に反対する。/绝对反对这个法案」所示,「反対する」和「賛成する」通常是要求用「NPに」来表示行为所涉及的对象的。但是,就连日本内阁总理大臣也不遵守这个规则。
其实出现这种用法并不奇怪。人们在使用语言传递信息时,会受构句模式联想功能的制约,由此自动推理并选择搭配句式。既然「わかる」「賛成する」「反対する」这类动词在造句时要求行为所涉及的对象共现,而在表示行为涉及对象时,并非所有的动词都要求用「が」或「に」来表示,有的需要用「を」来表示,如「NPを知る」等。而且,在实际生活当中,「NPを好きだ」已经成为相当普遍的说法,包括辞典在内,一部分学者在论文中也承认这种说法。因此,「NPをわかる」应该看作是语言发展过程中必然出现的用法,而不能断言是绝对偏误的用法。
不过,话又说回来,与「NPを好きだ」相比,目前,特别是在日语研究和日语教学界,「NPをわかる」「NPを賛成する」「NPを反対する」并没有得到绝大多数人的认可,也就是说,绝大多数日本人的语感还是认为「NPがわかる」「NPに賛成する」「NPに反対する」比较自然。因此,尽管在未来的若干年或十几年后,「NPをわかる」会像「NPを好きだ」一样得到认可,但是在目前的情况下,标题的日语还是应该说成「後で資料を調べて、そのことがわかりました」最为妥当。