『蛇性の淫』と『白娘子永鎮雷峰塔』における蛇女のイメージについての比較分析
2018-12-18白春雨
白春雨
『雨月物語』は日本の「読本」の代表作家である上田秋成の傑作である。その中で唯一の中編小説である『蛇性の淫』は明の馮夢龍が著した『警世通言』第二十八巻の『白娘子永鎮雷峰塔』を翻案した文学作品である。本論文は二つの作品における蛇女のイメージの対比を通して、性格の共通点と相違点をまとめ、その違いの原因を分析することによって、江戸時代において明清小説の大量の伝来が上田秋成の創作に影響を及ぼすことを検討しようとする。
キーワード 蛇性の淫;白娘子永鎮雷峰塔;イメージ;対比
はじめに
背景の違いによって、人類の文化は発展の過程で、違うグループには異なった文化の準則を持っている。文学作品は個人の創作であるが、所属団体の精神面における特徴を表している。それとともに、一つの民族が当民族の文学、文化を発展させる時、避けられずにほかの民族の文学、文化の衝突と影響を受けるに違いない。
しかし、文学作品の創作のうちに、自国の環境、文化など固有の要素の制約から脱するのは本当に難しい。『蛇性の淫』はストーリー上、言語表現上など色々な面で『白娘子永鎮雷峰塔』と非常に似ているが、同時に日本の古典文学『源氏物語』の「夕顔」「葵」などの影響も受け、『白娘子永鎮雷峰塔』を翻案する基礎の上に日本の文化の特色をも溶け込んだ。それによって二つの作品は最終的に文学性とテーマにおいての違いが現れた。
第1章 先行研究
現在に至るまでには、『蛇性の淫』と『白娘子永鎮雷峰塔』の比較について、日本であっても、中国であっても多くの研究を行った。本稿はこれらの研究を参照しながら、蛇女のイメージの比較を展開する。
1.1常凌雯の研究
常凌雯の「《蛇性之淫》与《白娘子永镇雷峰塔》的男主人公形象比较分析」 は似ているあるいは同じストーリーの中での男主人公像の異同を具体的かつ詳細に分析して比較し、それに、中国の白話小説が日本に伝わって徐々に日本化されていく過程を検証する。本論文の創作に方向性を提供した。
1.2桑鳳平の研究
桑鳳平の「试论中日古典怪诞小说的“同途殊归”——《蛇性之淫》与《白娘子永镇雷峰塔》人物形象对比分析」 は主に二つの作品の中での人物像に対する対照的な分析を通じて、日本文学の中国文学に対する吸収と、本民族の伝統的な文学、文化に対する吸収と継承を検討する。
1.3劉穎潔の研究
劉穎潔は「從人蛇恋透视中日文化心态——《蛇性之淫》与《白娘子永镇雷峰塔》之比较」 で、『白娘子永鎮雷峰塔』と『蛇性の淫』という人と蛇の恋を題材とする作品の中で最も典型的な二つの作品の対比を通じて、異なる民族の文化的心理や各民族に沈殿している文化因子を検討する。
第2章 イメージの共通点と原因
『蛇性の淫』は『白娘子永鎮雷峰塔』の翻案作として、人物像に似ているところが数え切れないほど多いである。ここは一つ一つ列挙しなくて、重要な部分だけ述べている。
2.1共通点
2.1.1美人であること
真女子であれ、白娘子であれ、彼女たちは美しい姿で男主人公を深く惹きつける。
『蛇性の淫』において、このように書いた。
「年は二十にたらぬ女の、顔容髪のかかりいと艶ひやかに、遠山ずりの色よき衣着て、了鬟の十四五ばかりなるの清げなるに、包みし物もたせ、しとどに濡れてわびしげなるが」
豊雄はそうな上品な様子を見て、内心でずっと真女子の美しさに感慨している。許宣も同じようで、別れても白娘子の美しさを忘れることができなくて、夜になっても、なかなか寝付くこともできない。
2.1.2幸せと純粋な愛への絶えない追求
真女子と白娘子は自分の愛する人と一緒に暮らすために、一生懸命に頑張った。彼女たちは正体が蛇妖怪であるため、美人を装って幸福と純粋な愛を追求する。蛇にもかかわらず、幸せと愛情を追求する権利もある。
白娘子は積極的に自由な愛情を追求して、しかも勇敢に彼女の愛情を破壊する勢力と闘っている。彼女は二回の官庁の追撃を逃れ、許宣が彼女のために訴えられて非難を浴びる時、彼女は愛で夫婦の矛盾を解消した。道士は彼女が大蛇であり、魔除けで彼女を鎮圧すると許宣に勧めるとき、彼女は方術で返撃した。
真女子も同じ執着心で豊雄を愛していた。真女子は貴重なものを盗んで、自分に大切な人に与えたが、かえって愛する人の疑いを招いた。彼女は愛する人と続けて暮らしていくために様々な口実を設けて自分の行為を弁解した。最後に豊雄は袈裟を懐中に忍ばせて彼女を捉えようとしていたが、彼女と一緒に遠くへ行くと欺くとき、真女子は彼の話を信じて喜んでいた。これらの細部はすべて彼女の豊雄への愛の誠実さと純情さを現している。彼女はいつも人間の世界における女性のように豊雄の愛情を得たいと思っているが、これだけ頑張ったのに、短い幸せな生活を送った。
2.1.3結末
妖怪である事実が相手に知られたあと、相手に裏切られて、最終的に真女子と白娘子はだれも良い結末を得られなかった。『蛇性の淫』において、最後の結果は「蘭若に帰り給ひて、堂の前を深く掘らせて鉢のままに埋めさせ、永劫があひだ世に出づることを戒しめ給ふ」である。白娘子も鉢のまま雷峰塔の下に埋められた。
2.2原因
2.2.1美人である原因
馮夢龍が『白娘子永鎮雷峰塔』を著した目的は文の終わりの詩に次のように書いていた。「色即是空空即是色,空空色色要分明。」 彼はラブストーリーを述べることを通して、人々にエロイズムを戒めるように助言する。古代の中国に於いては、「美人は災いのもとである」という観念はほぼ一定の考え方になっている。封建社会に於いて、女性は地位が低く、男性の肯定的なイメージを保つために「君子」の反対側と表現されることが多い。そのために、伝説やオタクに於ける男性の主人公は、しばしば目隠しされている犠牲者であり、女の美しさを楽しんだ後に正義の名の下に彼女たちを滅ぼす。
真女子を代表とする蛇女のイメージは、日本の多くの「魔女」のイメージの一つである。「魔女」は女性に対する日本人の複雑な考え方を反映している。彼らは、生き残るという現実的需要のために、「女性崇拝」の観念を持っている。同時に、独特な自然環境により、女性の美しさも含めて、世界中のものの美しさが鋭敏に感じられる。このようにして作成された女性のイメージは、非常に高貴で、美しく、純粋である。
2.2.2愛情と幸せを追求する原因
馮夢龍が生きた明の中·後期には、中国に資本主義が芽生えていた。人々の自意識も発達してきた。「感情」への追求と、封建的礼法との激しい衝突がこの時期の社会的特徴となった。彼のペンの下で、白娘子が積極的に愛情を追求する、真心を固く守って変えない、邪魔に直面し、勇敢に闘うことは彼女のイメージに独特な輝きを持たせた。
真女子は、封建社会の倫理観と道徳観を破り、自由に愛を追求しようとする白娘子と同じである。女性主人公を形作る過程で、上田秋成はロマンチックな理想を置いた。彼は現実には純粋な人間の感情を追求し、現実には見つからないとしても、人間の真心に理想を置こうとしている。
2.2.3結末が同じである原因
奈良時代から、日本は中国から律令制度を導入し始め、江戸時代まで、封建家長制度が最終的に形成された。女性は社会的地位が低く、体の意味がその人格より大きい。このような背景のしたで、女性の生活は悲惨であり、しばしば放棄された悲劇的な状況にある。真女子の結末そのものは、現実生活において女性の地位が低いことを真実に反映したものである。
中国の明代では、人々の自意識が目覚めたが、男性優位の封建社会において、白娘子の愛は依然として禁止された。彼女の愛情に対する執着は封建社会の倫理観に背いて、その時に女性を縛った婦人が守るべき道から逸脱した。雷鋒塔は、愛の自由を殺す封建的な圧迫の象徴である。それは封建家長制度による女性の崩壊を強調している。
第3章 イメージの相違点と原因
真女子と白娘子のイメージは、異なる文化背景の下で作成されているため、二つの蛇女のイメージに異なる部分があるはずである。
3.1相違点―反抗の手段
真女子と白娘子が反抗する前に、ストーリーと内容はほぼ同じであるが、その後、キャラクターの作成が変わり始った。自分が正しいと思って行動するが、世界から許されないとき、恋人に無慈悲に放棄されたとき、二人は異なる抵抗の方法を持っている。
『蛇性の淫』において、豊雄が自分を捨てて、富子と結婚する準備をしていることを知ると、真女子が二人が結婚する夜に富子に変身し、そして、「他し人のいふことをまことしくおぼして、強ちに遠ざけ給はんには、恨み報いなん。紀路の山々さばかり高くとも、君が血をもて峰より谷に潅ぎくださん」 と豊雄を脅した。真女子は、豊雄がやったことと世間の人がしていたことを、黙って受け入れるのではなく、堂々と自分の恨みを発散させ、報復を行った。
対照的に、許宣が偶然に白娘子が蛇女であることを発見したあと、白娘子を捉えるために戴先生を連れて行ったが、戴先生は白娘子を捕らえずに脱出した。許宣がこのようなことをしているため、白娘子は自分と許宣の愛を守るために杭州一城の人の命で許宣を脅かす。その後、白娘子が再び許宣と出会うとき、彼女は前の不愉快なことを忘れて優しい女性に戻った。彼女は以前と同じくらい許宣をよく扱ったが、許宣が禅師がくれた鉢で自分を捕らえるとは決して考えなかった。それにしても、彼女は最後まで許宣との夫婦のよしみを大切にしている。
3.2その原因
真女子の凶悪さと欲望、白娘子のしなやかさと真心とのコントラストは、同じモチーフの中で日中の物語の発展の違いを強調している。この違いの形成を検討するには、まず目を「富子」に置く必要がある。
この翻案小説の中で、最も注目されている相違点は、上田秋成が付け加えた「富子」のイメージである。富子は知識があり礼儀もわきまえている、動作がゆったりしているやさしくておとなしい少女である。彼女を肯定的な女神と考えることができる。しかし、結婚式の夜、真女子は富子の体にとりつき、再び夫婦の誓いを捨てると、彼の血を山頂から谷底まで流すと豊雄を脅かす。富子は、この人と蛇の恋の最初の犠牲者となったことに注意する必要がある。いわば豊雄の移り変わりによって真女子が富子に身を付け、間接的に彼女の死を招いた。
これは『白娘子永鎮雷峰塔』にないストーリーである。上田秋成は明らかに『源氏物語』の中で六条御息所が源氏の浮気を恨み、魂が肉体を離れて源氏に喜ばれた女に乗り移って殺すというエピソードを吸収した。また『道成寺縁起』の中で女性が求愛失敗で大蛇に化身して復讐し、恋人を灰燼に焼くという要素を融合させ、真女子に乗り移られた「富子」を作り出した。富子の出現は、間違いなく『白娘子永鎮雷峰塔』の中で白娘子が許宣に対する求められない悲恋を、自分の痴情を裏切った男に対する復讐に変えさせた。
第4章 背後にある文化的要素
文学は現実を反映している。文学作品は、文化的背景や社会的背景から独立して存在することはできない。上田秋成が作成した『蛇性の淫』は中国の『白娘子永鎮雷峰塔』を原作としたが、この民族の伝統文化と歴史的条件による影響を受けている。
真女子の登場、傘を借りたり、好感を持ったり、夫婦になったりするなど、『白娘子永鎮雷峰塔』とほぼ同じであるが、上田秋成は日本の国情に合わない部分を、日本の風習に合った場面やストーリーに書き換えて、原文の煩雑な部分を大胆に捨て、その創作の原則を貫いていく。例えば、真女子の登場地は「紀伊国の三輪ヶ崎」で、神話や物語の誕生の所である。蛇神の伝説がここに起こっているため、蛇女真女子の出現はとても自然である。もう一つは、真女子が一度だけ贈り物をして、贈り物を金、衣服などから太刀に変えたことである。太刀は武士を中心にした江戸時代で着用されている長い刀で、日本民族の尚武の精神を体現している。このように、ストーリーを簡略化し、反復感を避け、日本民族の特色も表れている。根本的に言えば、それは日本獨自の文化的背景と美意識によって決まっている。
おわりに
本論文は『蛇性の淫』と『白娘子永鎮雷峰塔』の両蛇女のイメージを対比分析することによって日本文学は中国文学を受け入れるとともに、本民族の伝統的な文学、文化を受け継ぐことを深く理解する。
要するに、『蛇性の淫』と『白娘子永鎮雷峰塔』の中における蛇女のイメージの対比を通して、上田秋成が『蛇性の淫』を創作するとき、『白娘子永鎮雷峰塔』の人物や筋などを参考にしていることがわかる。しかし、人物像の配置やデザインの面は日本の伝統的な美意識と一致しており、『源氏物語』や『道成寺縁起』などの古典文学の影響も無視できない。作者は他民族の文化を参考にしながら、しかも本民族の文化に根付いた態度を忘れないため、『蛇性の淫』は日本文学における優秀な作品になっている。中日両国は文化や美意識などの違いで、似ているようにみるが実は違っている人物像を生み出しているのである。
参考文献
[1]常凌雯.《蛇性之淫》与《白娘子永镇雷峰塔》的男主人公形象比较分析[J].牡丹江大学学报,2014(4):43-45.
[2]冯梦龙.警世通言[M].北京:人民文学出版社,1989.
[3]孔凌霄.中日文学中的蛇女形象[D].北京:对外经济贸易大学,2006.
[4]刘颖洁.从人蛇恋透视中日文化心态—《蛇性之淫》与《白娘子永镇雷峰塔》之比较[J].西安社会科学,2010(2):92-93.
[5]桑凤平.试论中日古典怪诞小说的“同途殊归”—《蛇性之淫》与《白娘子永镇雷峰塔》人物形象对比分析[J].语言与文化研究,2009(0):134-138.
[6]上田秋成.雨月物语[M].北京:人民文学出版社,1990.
(作者单位:吉林大学研究生)