朝鮮半島小学校の「国語」教科書の分析
2018-08-30刘影
刘影
【要 旨】1910年から1945年にかけて朝鮮半島は日本に統治されたから、朝鮮における「国語」教育、いわゆる日本語教育が「盛ん」に行われた。特に学校での「国語」教育が同化教育の最も重要な手段となり、「国語」教科書がその教育のもっとも「効率」的な実現方式となった。本稿はこれらの「国語教科書」を研究内容とし、特に軍事内容に焦点を合わせて分析してみることにする。
一、「国語」教育の概況
1910年から1945年にかけて朝鮮総督府は4回にわたる教育令を発布した。1911年の第一次教育令の第二条に「教育ハ教育ニ関スル勅語ノ旨趣ニ基キ忠良ナル国民ヲ育成スルコトヲ本義トス」とまずは教育の目的を明らかにした。「忠良ナル国民ヲ育成スルコト」は日本の他の植民地での教育目的とも共通性を持っている。第五条は普通の学校教育について定めた。「普通教育ハ普通ノ知識技能ヲ授ケ特ニ国民タルノ性格ヲ涵養シ国語ヲ普及スルコトヲ目的トス」この条から見れば「国民タルノ性格ヲ涵養シ国語ヲ普及スルコトヲ目的トス」のが普通学校の目的であり、国語教育の重要性も覗かれる。第八条は学校教育に関する内容で「普通学校ハ児童ニ国民教育ノ基礎タル普通教育ヲ為ス所ニシテ身体ノ発達ニ留意シ国語ヲ教ヘ徳育ヲ施シ国民タルノ性格ヲ養成シ其ノ生活ニ必須ナル知識技能ヲ授ク」と再び国語教育を強調した。この時期の日本の統治は武断統治であったが、1919年の朝鮮の三·一独立運動を機に文化政治に転換した。したがって、新たな第二次教育令が制定され、第一次の小学校の終業年限を4年から6年に延長して形式上で日本学制と同じくした。もちろんそれなりの日本語の教育も強化された。1938年に第三次の教育令を発布し、日本語で授業を進めることを強要し、徹底的な「皇國化教育」を行った。日本語は朝鮮語と並存する「国語」位置から公的な唯一の「国語」になり、朝鮮の民族言語が抹殺されるという境地になってしまった。日本語の普及は「順調」に進められ、「国語」として人々の生活で「大活躍」した。1943年の第四次の教育令は戦時体制の「実り」であって日本語の強化だけではなく戦争に参加する、支持するという色も強まった。
上述の教育令をまとめてみると日本は朝鮮人を日本の「忠良ナル国民」に育成するために「臣民化教育」、「皇民化教育」を実施し、日本語の普及を通してそれを実現しようとした。そして、「国語」の教育は日本統治の時間にしたがって日増しに強化された。
二、教科書の概況
日本が朝鮮で教科書を刊行したのは1910年からではなくてもっと前から始まった。以下の図は各時期による教科書の状況を表している。
図に列挙したように二期前の教科書は8巻で、二期以後の教科書は12巻からなっていた。それは、1919年朝鮮の三?一独立運動によって日本は過去の強圧の統治政策や差別政策から内鮮の融合というような文化政治に転じて朝鮮での4年の学制を日本国内の6年と同じくしたからである。また、第二期と第四期の教科書の編纂機関はともに朝鮮総督府と日本文部省である。なぜかというと文部省の編纂した教科書は日本「内地」で使っている教科書であったからだ。日本は当時、新しい教科書を編纂する時間や余裕がないのが重要な原因の一つとなるが、「内鮮一体」や「皇民化教育」という政策も原因の一つではないかと思われる。しかし、内鮮共学制をとりながらも教職員の多数と学生の過半をつねに日本人が占めた。教科書の内容構成から見れば、主に朝鮮と日本に関わる内容である。日本統治時間の経つにつれて、朝鮮に関する内容は減少され、日本に関する内容は増加した。しかも第四期になってから朝鮮のことを述べる内容はほとんどなくなり、同化のための偽りの内容が日増しに増加した。例えば、第三期の『普通学校国語読本』七巻では「我が国」という名の内容がある。
我が国はアジや州の東部に位し、日本列島及び朝鮮半島より成る。その外、満州国より借りたる関東州、列国より預かれる南洋諸島あり。(中略)
我が国には景色のすぐれたる所多し。中にも、富士山?金剛山?瀬戸内海は広く世に知られたり。(中略)
上に万世一系の天皇をいただき、九千万の国民おのおのその業をはげむ。世界に国おおしといへども、我が国のごときは他にあらざるなり。
ここで、我が国は日本列島と朝鮮半島からなっていると学生たちに誤まった思想を注ぎ込んだ。これは、朝鮮人に「私は日本人だ」という意識を植え付け、彼らに日本人であるということに誇りを持たせたがっていたからである。
十二巻の26課は「朝鮮統治」である。以下が原文である。
日韓両国併合して一家の親を結ぶに至りしは明治四十三年八月にして、其の趣旨は当時渙発
せられたる詔書に明かなり。即ち朝鮮の秩序公安を確立すると共に、産業及び貿易の発達をは
かり、以て民衆の幸福を増進し、東洋平和の基礎を鞏固にせんとするにあり。(中略)
爾来、歴代の総督は一視同仁の聖旨を奉じて意を統治に用日、局に當るものまた精励よく国
土の開発と民衆の福利増進とに努む。かくて制度整ひ文物備り、人文日に進み、各種の産業ま
た長足の発達を遂げ、施政わづか二十余年にして、よく昔日の面目を一新し、人をして隔世の
感にたへざらしむ。(中略)
殊に近時、教育強化の普及に伴ひて、国民の自覚いよいよ深まり、統治の精神上下に徹して、
勤労好愛の美風都鄙にみなぎり、老弱男女、相率ゐ相励まし、近然一家の更生と部落の振興と
にいそしむ。かくて半島の山野は天空明朗にして生気あふれ、其の前途は無限の希望と光明と
に輝くに至れり。
教科書では「日韓併合」が持ってきたメリットを述べた。秩序、産業、貿易、民衆の幸福などいろいろな面にわたる進歩、すべてが併合があってこそのものであると強調した。しかし、真実は果たして日本の描いた通りであろうかと疑問を持たざるをえない。
三、教科書の中の軍事内容
明治三十七年五月二十一日、これぞ一生忘れることのできぬ嬉しい日である。
いよいよ戦地へ行けることになると、一刻も早く出発したいと、誰一人思はぬ者はなかった。
待ちに待った出発の日は決定されて、午前六時、城内練兵場に整列せよとの命令が下がった。
日頃の熱望こゝに達して、男児の面目これに過ぎるものはない。我等の歓喜は絶頂に達した。
しかし、この歓喜とともに、また暗涙の浮ぶのを禁じ得なかった。無論、今更家を顧み、親を
慕負のではない。(中略)
長蛇の如き我が聨隊は、熱誠なる国民の万歳の声に送られて、勇ましく前進した。次第に遠
ざかる靴の音、蹄の響は、如何ばかり国民の耳に頼もしく聞こえたことであらう。遠く近く響
き渡るラッパの音は、即ち親愛なる同胞に対する暇乞であった。老も若きも、手に手に国旗を
振りかざして、天地もとどろくばかりに叫ぶ万歳の声を聞いては、我等は誓って此の至誠に報
いなければならぬとの感慨を深くした。
その後、度々の先頭に喊声をあげて敵塁に突進する毎に、背後で国民の万歳の声が潮の如き
湧気るやうに感じた。我等の喊声は、国民の万歳の声の反響に外ならぬのだ。(略)
これは第三期『普通学校国語読本』十一巻の「征衣上途」の内容である。原文に、一刻も早く戦争に参加したいという兵士の強い願望が見られ、全ての兵士たちは戦うことに興奮していて国の象徴である国旗を手に振りかざして万歳の声を出した。まるで日本軍は無敵のようで国民全民が一体となって戦争を支える感じを與えた。
東郷大將の率ゐる我が連合艦隊は、鎮海湾の奥深く影をひそめて、今やおそしと露国艦隊の
来航を待ち受けていた。(中略)
「皇国の興発其の一戦にあり、各員一層奮励努力せよ。」
厳として秋霜の如き信号である。仰ぎ見た全艦隊幾万の将士の意気は天をつき、悲壮勇烈の
気、早くも敵を壓するものがあった。(中略)
我が艦隊は一斎に火蓄を切って、勢い鋭く攻撃した。かくて、我が海軍の武威を世界にとどろかした、日本海大海戦の幕は切って落とされたのである。
これは第三期『普通学校国語読本』十一巻の「此の一戦」の内容である。1905年日露戦争の状況を描いたものである。東郷平八郎はこの戦争において、連合艦隊司令長官として勝利をとった。したがって、代表的な愛国英雄の東郷が教科書に出で学ぶべき人物の「模範」とされるのもおかしくなかった。この文章は、東郷大将と兵士たちの「勇烈さ」、天をつく意気、命をかけて「皇国」のために戦うその覚悟など、全部を此の一戦にかける兵士たちを高く評価した。
戦友の屍を越えて 突撃す、み国の為に。
大君に捧げし命。 あゝ忠烈、肉弾三勇士。
廟行鎮鉄条網を 爆破せん、男児の意気ぞ。
身に負える任務は重し。 あゝ壮烈、肉弾三勇士。
爆薬筒担ひて死地に 躍進す、敵塁近し。
轟然と大地はゆらぐ。 あゝ勇猛、肉弾三勇士。
突撃路今こそ明け。 日章旗、喊声あがる。
煙募の消去る上に。 あゝ軍神、肉弾三勇士。
これは第三期『普通学校国語読本』十二巻の「肉弾三勇士の歌」の原文である。「戦友の屍を越えて」、「国に為に」などのような言葉からも、全文に溢れている忠烈、国の為に献身する、命も惜しまずに戦うというような精神に対する絶賛が見られる。このような教育で、まだ若くて、国の意味もわかっていない学生たちに愛国精神と忠烈を勉強させて国を守らせる目的を達成するのが目的ではないかと思われる。
要するに、軍事内容を教えることで、学生に戦争を紹介し、国のために戦争を支えるべきだということを伝えた。しかし、これらの軍事内容は朝鮮と何の関係もないのが実情であり、ただ日本に占領されたからといって日本本土の国民が受けた軍国主義教育を朝鮮の人にも強制的にさせて、日本の対外戦争を支持させた。このような教育を受けた若い人たちは、自分が支えた戦争は他民族を殺す最悪の罪であることさえわからないと思われる。朝鮮に対する「国語」教育は、結局朝鮮の民族言語、民族意識、民族帰属感をなくすための措置であり、朝鮮人を完全に日本人に同化し、ただ天皇の命令に従う「忠良ナル国民」にする手段であろう。もし、日本の計画通りに行ったら朝鮮という民族はこの世で完全になくなる可能性も高かっただろう。このような「国語」教科書は日本語教育の普及の主な手段であり、しかも日本帝国主義の植民地支配や侵略戦争政策と固く結びついていたと確信できると考えられる。
参考文献:
[1]第一次教育令.
[2]第二次教育令.
[3]第三次教育令.
[4]『普通学校国語読本』七巻[M].朝鮮総督府.1933年.
[5]『普通学校国語読本』十一巻[M].朝鮮総督府.1935年.
[6]『普通学校国語読本』十二巻[M].朝鮮総督府.1935年.