「コ?ソ?ア」指示词与“这、那”的对比研究
2017-03-31丁照春
【摘要】中日词汇对比研究是研究语言本体的手段之一,通过对比研究可以加深人们对语言应用的认知方式与心理活动等的理解和認识。本文利用中日都具有代表性的文学作品,以现行研究为基础,结合语言学理论,运用对比语言学的研究方法探讨在互译过程中,「コ·ソ·ア」指示词与“这、那”各自的使用情况,并对研究结果进行归纳与整理。以此为契机,发现一些带有规律性的成果,寄予对以后的日语教学及对比研究有所帮助。
【关键词】コ·ソ·ア;这、那;对比研究
一、引言
日语语法将「コ·ソ·ア」指示词分为“近称”、“中称”、“远称”三项,而汉语语法则分为“这”、“那”,即“近称”、“远称”两项。因此,日语的「コ·ソ·ア」与汉语的“这”、“那”在意义和使用等方面发生了不对称现象。那么,这种不对称在日译汉作品或汉译日作品中有着怎样的关系?二者各有什么特点?是否存在一致?本文针对这些问题进行探讨与研究。
二、研究资料与统计象
本文的研究资料为夏目漱石的『心』(林少华译 中国宇航出版社)和老舍的《狂人日记》(井上紅梅译 青空文库)。因为这两部作品均在日本与中国具有代表性,其语法的准确性及翻译的恰当性已得到学界的广泛认可。
统计对象为日语的「コ·ソ·ア」指示词与汉语的“这”、“那”。具体分为:①指示代名词的これ、それ、あれ、ここ、そこ、あそこ;②指示副词的こう、そう、ああ;③指示连体词的この、その、あの、こんな、そんな、あんな。但在作品中,上述词并不都是指示词。本文在作品中逐一查找上述词,然后仔细考察其译文中的对应情况。统计包括非指示词的情况,但对非指示词不做分析与探讨。
三、原著中「コ·ソ·ア」指示词与译文中“这”、“那”的使用情况考察
笔者选取日本著名作家夏目漱石的『心』加以考察。笔者将其原著与2013年中国宇航出版社出版的林少华的译本进行了对比考察,通过对作品中「コ·ソ·ア」指示词和“这”、“那”的统计,发现日语、汉语中有着明显的不对称性。原著中「コ·ソ·ア」指示词的使用情况如下:
而林少华译本中“这、那”的使用情況如下:
从上表可以看出,日语的指示词和汉语的指示词出现了不对称性,主要表现在:(1)从数量上看,「ソ」系列指示词占「コ·ソ·ア」指示词总量的71.90%,位居第一;而汉语的“那”指示词占指示词总量的36.80%,远远低于日语的「ソ」系列指示词。「コ」系列指示词占「コ·ソ·ア」指示词总量的24.57%,排在第二;而汉语的“这”指示词占指示词总量的63.20%,远远高于日语的「コ」系列指示词。「ア」系列指示词的使用数量最少,仅占「コ·ソ·ア」指示词总量的3.53%。(2)这种不对称现象,不仅表现在数量上的不同,而且在互译过程中还出现了原著中没有使用指示词而译文中出现了指示词的现象;
笔者将原著和译文中使用的指示词进行了逐一比对,发现的不对称现象如下:
A、原著中没有使用「コ·ソ·ア」指示词,而译文中则译成“这、那”。例如:
①私の論文は自分が評価していたほどに、教授の眼にはよく見えなかったらしい。/在教授眼里,我的论文似乎没有我自己评价的那么好。
②先生の話のうちでただ一つ底まで聞きたかったのは、人間がいざという間際に、誰でも悪人になるという言葉の意味であった。/先生的话中,唯独一点我想刨根问底,就是到了关键时刻任何人都将变成坏人这句话的含义。
③秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。/秋天进入尾声,冬日即将来临。这段时间没有特殊事发生。
B、原著中使用了「コ·ソ·ア」指示词,译文则译成“在此”、“如此”及人称代词。例如:
①彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外に、ここで海水着を洗濯させたり、ここで塩はゆい身体を清めたり、ここへ帽子や傘を預けたりするのである。/他们在此喝茶,在此休憩,在此洗游泳衣,在此冲净咸津津的身体,在此寄存帽子和伞。
②これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。/这并非出于我对世人的顾忌,而是因为对我来说,如此称呼才是自然的。
③私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。/我经常称他为先生,所以只这里也只以先生相称,隐去真实姓名。
C、原著中使用了「コ·ソ·ア」指示词,而译文则省略了指示词。例如:
①ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。/不料我到镰仓不到三天,把我叫来的朋友突然接到老家电报,让他赶快回去。电报上说是母病,但朋友不信。
②先生の態度はむしろ落ち着いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中にははっきり言えないような一種の曇りがあった。/莫如说,先生的态度很镇定,声音也很沉静。但其表情有一种难以形容的阴翳。
③我々は群集の中にいた。群集はいずれもうれしそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。/我们置身于人群中。每一个人都显得喜气洋洋。穿过人群,进入没有樱花没有人群的树林之前,我们没有谈论同一问题的机会。
四、原著中“这”、“那”与译文中「コ·ソ·ア」指示词的使用情况考察
笔者选取中国著名作家鲁迅的《狂人日记》,该作品不仅在中国具有代表性,在日本也广为人知、广受欢迎。日本有很多著名翻译家对该作品进行了翻译,但本文选取井上紅梅的译本进行考察。
原著中“这”、“那”的使用情况如下:
而井上紅梅译本中「コ·ソ·ア」指示词的使用情况如下:
从上表可以看出,汉译日作品中同样出现了不对称现象,主要表现在:(1)从绝对数量上看,漢语的“这”、“那”与日语的「コ·ソ·ア」指示词相比减少了51个;(2)数量的不同是不对称的,原著中有“这”、“那”并未译成「コ·ソ·ア」指示词或没有“这”、“那”指示词却译成了「コ·ソ·ア」指示词。
笔者对原著和译本进行了逐一比对,归纳结果如下:
原著中没有使用“这、那”,却译成「コ·ソ·ア」指示词。例如:
①劳君远道而来,然已早愈,赴某地候补矣。因大笑,出示日记二册,谓可见当日病状,不妨献诸旧友。/病気に罹ったのはその人の弟で、君がせっかく訪ねて来てくれたが、本人はもうスッカリ全快して官吏候補となり某地へ赴任したと語り、大笑いして二冊の日記を出した。これを見ると当時の病状がよくわかる。
②我不见他,已是三十多年;今天见了,精神分外爽快。才知道以前的三十多年,全是发昏;然而须十分小心。/ 乃公は三十年あまりもこれを見ずにいたんだが、今夜見ると気分が殊の外サッパリして初めて知った、前の三十何年間は全く夢中であったことを。それにしても用心するに越したことはない。
③我想我同小孩子有什么仇,他也这样。忍不住大声说:“你告诉我!”他们可就跑了。/一体乃公は何だってこんな子供から怨みを受けているのだろう。とてもたまったものじゃない。大声あげて「お前は乃公にわけを言え」と怒鳴ってやると彼らは一散に逃げ出した。
原著中是“如此”“其”和人称代词,译文则是「コ·ソ·ア」指示词。例如:
①可是也晓得他们心思很不一样,一种是以为从来如此,应该吃的;一种是知道不该吃……/わたしは彼等が皆一つ仲間の食人種であることを知っているが、彼等の考が皆一様でないことも知っている。その一種は昔からの仕来りで人を食っても構わないと思っている者で、他の一種は人を食ってはいけないと知りながら…
②四千年来时时吃人的地方,今天才明白,我也在其中混了多年;/四千年来、時々人を食う地方が今ようやくわかった。わたしも永年その中に交っていたのだ。
③他们要吃我,你一个人原也无法可想;/あの人達がわたしを食おうとすれば、全くあなた一人では法返しがつくまい。
原著中使用的是“这、那”,而译文却省略了指示词。例如:
①其实我岂不知道这老头子是刽子手扮的!无非借了看脉这名目,揣一揣肥瘠;/実際わたしはこの親爺が首斬役であるのを知らずにいるものか。脈を見るのをつけたりにして肉付を量り、その手柄で一分の肉の分配にあずかろうというのだ。
②当初,他还只是冷笑,随后眼光便凶狠起来,一到说破他们的隐情,那就满脸都变成青色了。/最初彼はただ冷笑するのみであったが、まもなく眼が気味悪く光って来て、彼等の秘密を説き破った頃には顔じゅうが真青になった。
五、结语
本文重点分析了文学作品中「コ·ソ·ア」指示词和“这、那”各自的使用和互译情况。研究结论如下:(1)在对应关系上,日语的「コ」指示词大多与“这”对应;「ア」指示词大多与“那”对应;而「ソ」指示词大多并非与“这”对应而是和“那”相对应;(2)在同一篇文章里,日语指示词的使用数量远远高于汉语指示词的使用数量;(3)在使用频率上,「コ·ソ·ア」指示词中,使用最频繁的是「ソ」指示词。而汉语中,“这”比“那”使用的更多。这主要源于中国是礼仪之邦,人们习惯用熟悉的“这”来拉近与他人的心理距离,从而让人感到亲近,所以都会运用“这”多于“那”,于是就出现了我们所看到的不对称现象。
【参考文献】
[1] 夏目漱石. 心[M]. 岩波書店, 1967.
[2] 夏目漱石. 心[M]. 林少华, 译. 中国宇航出版社, 2013.
[3] 鲁迅. 狂人日记[M]. 中国言实出版社, 1983.
[4] 鲁迅. 狂人日记[M]. 井上紅梅, 译. 青空文庫, 1934.
[5] 张子如. 基于语料库的中日指示词量化对比研究——小说中「こ·そ·あ」系列与“这”“那”的对比[J]. 西安外国语学报, 2010,1.
【作者简介】
丁照春(1992—),辽宁师范大学外国语学院研究生,主要研究方向:外国语言学及应用语言学(日语)。