現代日本人の集団意識の変化について
2016-10-21张莹
张莹
摘 要:周知のように、日本人の集団意識は日本の武士道と同じように全世界に知られる。日本人の集団意識は非常に強固なもので、これが日本の経済発展に大きく貢献しただけでは無くて、集団を重んじるとの日本民族像を全世界に打ち立てた。しかし、20世紀70年代から、貧困を克服した日本人の意識構造が変わることに伴い、日本を豊かな国に導いた「集団意識」も変化している。本論文は村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を中心に、作品における「赤松」、「白根」と「多崎つくる」の人物が集団を離れる前後の集団意識の変化と「赤松」、「白根」が、自分の心に従い自ら集団を離れた主人公「多崎つくる」への嫉妬という二つの面を通し、作品の中に反映された現代日本人が伝統的な集団意識への挑戦を始めたという変化を研究した。今後日本人の国民性への研究に少しでも役立てば良いと思われる。
关键词:現代 日本人 集団意識 変化
中图分类号:H36 文献标识码:C 文章编号:1672-1578(2016)05-0289-05
1 はじめに
1.1 問題意識
戦後、日本人の集団意識は日本の経済発展に貢献しただけではなくて、しっかりと団結している日本民族像をも打ち立てた。しかし、20世紀70年代から、貧困を克服した日本人の意識構造が変わりつつあり、経済高度成長期に導いた「集団意識」は一時疑われた。特に、欧米先進諸国との交流に伴い、日本の若者の中には、欧米の「個人主義」の影響を受けた人がだんだん多くなってきた。彼らは政治への興味がなくて、奇抜な服装をしており、個性を強調する。それに、社会への帰属感が弱くて、生活上の享楽を追い求める。今回、私は村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読み、本の中に現代日本人の集団意識の変化が著しく現れていることに気づいた。同時に、村上春樹は日本人の集団意識を描写する代表的な作家であるとの事から、この本を中心に現代日本人の集団意識の変化を研究する必要があると考えた。作品の中の代表人物に現れた集団意識を比較的に分析し、その中に投影された現代日本人の集団意識の変化を見出し、論述する。
1.2 先行研究
今まで、日本人の集団意識についての研究は多くある。しかし、それは殆ど伝統的な集団意識についての研究である。「日本集团意识形成的原因及特点」と「中日集团主义比较研究」という二つの文章は日本人の集団意識の形成原因、特徴や中日集団意識の対比などを分析した。日本人の集団意識の形成は日本の自然環境と分けられないという研究がある。また、日本人の集団意識の表現は幾つかがあるという研究もある。前人の研究は様々な角度から述べられており、比較的な研究方法を提供してくれた。我々は上記のような先人の研究成果に基づき、より深く研究することができるようになった。
1.3 研究内容
本論文の主な内容は、村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』を中心に、作品における「赤松」、「白根」と「多崎つくる」の人物が集団を離れる前後の集団意識の変化と「赤松」、「白根」が、自分の心に従い自ら集団を離れた主人公「多崎つくる」への嫉妬という二つの面を通し、作品の中に描かれた現代日本人の集団意識の変化を考察する。
1.4 研究方法
本論文は、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という作品を中心に、時間の変化順序で、作品における代表人物が集団を離れる前後の集団意識の変化と他の人物が自分の心に従い、自ら集団を離れた「多崎つくる」への嫉妬から見た集団意識の変化を通し、現代日本人の集団意識の変化を検討する。いわば、作品の内容に基づき、対比手法により、現代日本人の集団意識の変化を研究する。
1.5 論文の構成
本論は三章にわたり、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』における現代日本人の集団意識の変化を明らかにする。
第一部分では、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という作品の粗筋と作者を簡単に紹介する。
第二部分では、作品における集団を離れる前後の「赤松」、「白根」と「多崎つくる」の集団意識の変化を比較し、論述する。
第三部分では、「赤松」と「白根」が自分の心に従い、自ら集団を離れた「多崎つくる」への嫉妬から見た集団意識の変化を分析する。
1.6 主な資料
本論文を書くために、研究中心とした『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。主な参考資料にはルーズ?ベネディクトの『菊と刀』、土居健郎の『日本人の心理構造』と「甘えの構造」などがある。ほかに、平野芳信の「『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』論:鏡の國のたさき創」と太田鈴子の「村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』――心から誰かを求められる素晴しさ――」などの論文も主な資料として拝読した。
2 作品と作者について
本章では、現代日本人の集団意識を研究対象とした、研究中心の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という作品の粗筋と作者である村上春樹を簡単に紹介する。
2.1 作品の粗筋
多崎つくるは名古屋の公立高校を卒業し、故郷の名古屋、家族と親友の元を離れ、東京の工科大学の土木工学科に進んだ。彼は東京の鉄道会社に就職し、子供の頃からずっとやりたかった駅舎を設計管理する仕事をしている。紹介で知り合った木元沙羅(38歳)に、高校時代に仲良し5人組を形成していた4人から、大学2年生の時に突如、理由も告げられないまま絶交を言い渡されたことを語った。それに、絶交と言い渡された時から、4人と一度も會ったことがなくて、理由を聞こうもせずに、今までに過ごしてきたということも沙羅に語った。その後、沙羅に4人から絶交された理由は自身の手で明らかにするべきだと告げられた。
つくるは沙羅のアドバイスを聞き、16年前の出來事の理由を解明する必要があると思い、名古屋で働くアカ(赤松)[1]とアオ(青海)[2]に会いに行った。アカは社員教育カリキュラムを実践する会社を経営している。アオはトヨタ自動車のショールームで高級車レクサスを販売している。2人とも成功していたが、16年ぶりに会ったアカとアオから、シロ(白根)[3]が、つくるが大学2年の時、つくるにレイプされたと訴えたことを聞いた。当時、アカもアオも半信半疑だったが、シロを守るために、多崎つくるを集団から追い出した。現在はそんなことはあり得ないと確信した。そして、つくるは、シロが音楽大学を卒業した後、浜松に移り住み、2年後にマンションの自室で絞殺されたことを知った。その後、つくるはアカとアオのアドバイスに従い、フィンランドに住んでいるシロの親友であった黒埜(クロ)[4]を尋ねた。クロから、その時のシロが精神的に混乱していたことと、クロは最初からつくるがシロをレイプしたことを信じていなかったが、シロを護るためにシロを100%受け入れ、つくるを100%捨てなければならなかったと知った。それと、クロの話により、シロは最後までつくるにレイプされたことが本当に自分に起こったことだと信じていた。なぜシロがそんな妄想に取りつかれたのか、クロには今でも理解できない。つくるは、クロと話をしたり、クロをハグしたりするうちに、これまで理由も告げられない絶交を言い渡された自分のことを犠牲者だと考えてきたが、知らないうちに自分が心に従い、故郷と親友を離れ上京した行為は集団を裏切り、親友たちを傷つけてきたと気づくようになった。
2.2 作者について
村上春樹(むらかみ はるき、1949年1月12日 - )は、日本の小説家で、アメリカ文学翻訳家である。京都府京都市伏見区に生まれ、兵庫県西宮市?芦屋市に育つ。早稲田大学第一文学部演劇科を卒業し、ジャズ喫茶の経営を持ち、1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビューする。当時のアメリカ文学から影響を受けた文体で都会生活を描いき注目を浴び、村上龍と共に時代を代表する作家と目される。1987年発表の『ノルウェイの森』は上下430万部を売るベストセラーとなり、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド?ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』と『1Q84』などがある。日本国外でも人気が高くて、柴田元幸は村上を現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人と評している。2006年、特定の国民性に捉われない世界文学へ貢献した作家に贈られるフランツ?カフカ賞をアジア圏で初めて受賞し、以後日本の作家の中でノーベル文学賞の最有力候補と見なされている。彼の数多くの作品の中で、集団意識について描写されている。
3 作品における代表人物の集団意識の変化
本章では、作品における代表人物である「赤松」、「白根」と「多崎つくる」の集団意識の変化を、時間的順序に従い、彼らが集団を離れる前の集団意識と集団を離れた後に現れた集団意識の二つの面から、比較的に分析する。
3.1 集団を離れる前の代表人物の集団意識
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』における登場人物は多いが、この作品に反映された現代日本人の集団意識の変化を説明するために、その中の主な代表人物である「赤松」、「白根」と主人公の「多崎つくる」を選んだのである。まずは、集団を離れる前の代表人物の集団意識を論述する。
3.1.1 赤松の犠牲心理
「アカ」という人物は優柔不断な人ではなくて、逆に短気で、いったん何かを決めたら、簡単には考えを変えない性格の持ち主だと言える。集団を離れる前のアカの集団意識を分析するために、以下の幾つかの段落を引用した。
五人はそれぞれに「自分は今、正しい場所において、正しい仲間と結びついている」と感じた。自分は他の四人を必要とし、同時に他の四人に必要とされている――そういう調和の感覚があった。[5](中略)
アカは成績からすれば、東京大学にも楽に入れたはずだし、親も教師もそれを強く勧めた。(中略)しかし彼らはあえて名古屋に残ることを選んだ。それぞれに進む学校のレベルを一段階落として。[6]
アカは集団を離れる前に、集団のことを非常に大切にしていたということが分かる。第一段落で、「自分は他の四人と一緒に、まるでたまたま幸運な化学的融合」であり、「同じ材料を揃え、どれだけ周到に準備をしても、二度と同じ結果が生まれることはおそらくあるまい」[7]という唯一性が述べられている。
それに、第二段落により、アカは親と先生に強く東大に行くべきだと勧められても、自分の原因で共同体が解散されたくないから、東大に受かるのに、名古屋に残ることを選らんだ。これは共同体のために自分を犠牲したと言える。この二つの点に基づき、集団を離れる前は、アカにとって、集団は重要な役割を果たしていたことが見える。アカは優柔不断の人ではないので、自分がすでに名古屋に残るという選択をしたから、簡単に変えるわけがない。彼はまさに自分の行動で、自分はどれほど共同体のことを大切にしているかを証明した。このようなアカの心底には、必ず共同体のほかのメンバーにも同じ選択をしてほしいという期待が存在していると考えられる。
3.1.2 白根の服従心理
「シロ」という人物は作品の中で、セリフが少ない人物である。作者は「つくる」、「アカ」などの人物を語り手にし、彼らの口を借り、シロが静かでいつも笑顔が少ない少女のイメージを作り出した。それに、懐古的な手法で、他の人物の思い出により、シロのことを解明した。集団を離れた前のシロの集団意識を分析するために、以下の幾つかの段落を引用した。
(前略)シロは結局周囲に説得されて獣医学校に進むことはあきらめ、音楽大学のピアノ科に落ち着いた。[8]
つくるが帰郷している間、久しぶりに顔を合わせるということもあって、話題は尽きなかった。彼らはつくるが街を離れたあと四人で行動していた。しかし彼が帰郷すると、以前と同じ五人単位に戻った。(中略)地元に残った四人は、時間の中断などなかったようにすんなりとつくるを受け入れてくれた。[9]
最初、シロは他の四人と同じように「正しい場所において、正しい仲間と結びついている」と感じ、自分は他の四人を必要とし、同時に他の四人に必要とされている――そういう調和の感覚があり、集団のことを大切にしていた。しかし、上記の第一段落により、大学を選んだ時に、シロは説得され獣医学校に入学することを諦め、音楽大学のピアノ科に行った。ここで注意すべき言葉は「結局」と「説得された」という二つの言葉である。この二つの言葉を通し、実はシロが音楽大学のピアノ科には入りたくなくて、獣医学校に行きたかったことが分かる。つまり、シロは自分の考えを持っていたが、周りの人の意見を受け入れ、みんなに従った。
次に、シロはつくるが名古屋を離れ上京することを知った後、他の三人と同じように、引き止めたりもしなかった。逆につくるを励ました。それだけではなくて、つくるが帰郷した時も、時間の中断などなかったようにすんなりとつくるを受け入れた。しかし、よく考えてみると、周りの人に説得され、入りたくなかったのに、結局仕方がなく音大に入ったシロは、本当に自分の心に従い共同体と実家を離れ、自分の夢に向かい上京できたつくるをそんなに簡単に以前と同じように受け入れられたのかと疑問視している。むしろ、シロは自分の悔しさを心底に隠し、仕方なく他の三人と同調につくるを受け入れたと考えられる。シロは集団を離れる前に、自分の考えをあきらめても集団の人からの勧めに従った。いわば、彼女にとって、集団のことを重んじるというより、集団のことを重んじなくてはいけないニュアンスが含まれた。
3.1.3 多崎つくるの矛盾心理
「 つくる」という人物は作品の中で、個性的な人物として目立っている。共同体の五人の中で彼だけが自ら故郷、家族と親友の元を離れ、一人で東京に行った。自分が興味を持つ分野(駅に関わる仕事)で好きな仕事をやっている。彼が集団を離れる前の集団意識を分析するために、以下の幾つかの段落を引用した。
そしてもちろん多崎つくるも、自分がひとつの不可欠なピースとしてその五角形に組み込まれていることを、嬉しく、また誇らしく思った。彼は他の四人のことが心から好きだったし、そこにある一体感を何より愛した。若木が地中から養分を吸い上げるように、思春期に必要とされる滋養をつくるはそのグループから受け取り、成長のための大事な糧とし、あるいは取り置いて、非常用熱源として体内に蓄えた。[10]
ここまで見れば、多崎つくるは集団のことを大切にしていたということが分かった。しかし、彼が進学する時の選択は彼の本音を表した。
「おまえはどうするのかと訊かれて、まだははっきり決
めていないと僕は答えた。でも実際はそのときには、東京の大学に進もうと心を決めていた。(中略)でもここで東京に出て行かないと、あとになって悔いが残るだろうと自分でわかっていた。僕はどうしてもその教授のゼミに入りたかったんだ。」[11]
上記の段落により、つくるにとっては集団のことはもちろん重要だが、自分のやりたいことが更に大切だということが見える。なぜかというと、人の行動は人の考えを反映している。もし、つくるにとって集団のことが本当に大切であれば、彼は集団を離れるとの選択はしないだろうと推測できる。それだけではなくて、彼は今後の進路を聞かれた時、四人に嘘をついた。それはもちろん友達をがっかりさせたくないニュアンスがあるが、共同体からの同調圧力も恐れていると思われる。それと、彼は「はっきり口には出されなかったけれど、グループを解体したくないから彼らがそうするんだということは明らかだった」[12]ということを分かっていたのに、結局自分の心に従おうと決めた。彼の実際の行動により、集団よりもやはり彼自信の夢が重要だということは明らかである。
3.2 集団を離れた後の代表人物の集団意識
シロがつくるにレイプされたことをつくる以外の三人に告げた後、シロを守るために、三人は身近にいるシロに真偽を正さず、遠方に去ったつくるに罪を着せることでバランスを保ち、共同体を守った[13]。実は、このことをきっかけに、共同体が事実上に解体された。次に、アカが集団を離れた後の集団意識を分析する。
3.2.1 赤松の希薄な集団意識
集団を離れた後のアカの集団意識を分析するために、以下の幾つかの段落を引用した。
アカは話を続けた。「どうやらおれは人に使われることに向いていないらしい。一見そうは見えないし、おれ自身、大學を出て就職するまでは自分のそんな性格に気がつかなかった。[14](中略)でも大学に入ってみたら、自分が学問にまったく向いてないことがわかった。退屈きわまりない淀んだ世界だ。そんなところで一生を終えたくない。でも大学を出て企業に入ってみたら、自分が会社勤めにも向いてないことがわかった。そんな具合に試行錯誤の連続だった。でもこうしてなんとか自分なりの居場所を見つけて生き延びている。[15]
上記の描写により、アカは集団を離れた後、大学を卒業し就職した後で、自分が学問と会社勤めに向いていないということに気づいた。彼自身の話により、「退屈きわまりない淀んだ学問と会社勤めの世界で、自分の一生を終えたくない」という状態であった。学問と会社勤めの世界は常に規則とルールが多い世界である。即ち、両者とも集団の特徴を顕著に持っている。アカはそのような世界に入り、色々と経験した後、自分で何かを始めるしかないと思うようになった。彼をそういうふうに考えさせたのは、集団から脱出し、自分の心に従い自分に向いたことをやりたいとの考えであろう。彼の心底には集団を離れ、好きな生き方で人生を過ごしたいという考えがあると思われる。
「シロは気の毒だった」とアカは静かな声で言った。(中略)そんな風に二行か三行でシロの人生が要約されてしまうことに、つくるはいささか抵抗を感じないわけにはいかなかった。」16](中略)「そしてアオとおれは目と鼻の先にいるというのにもう会うこともない。どうしてか?顔を合わせても話すことがないからだよ」[17]
上記の段落により、集団を離れた後、アカの集団意識が変わったことは明らかである。アカは以前、集団が解体されない為に自分を犠牲にしたが、集団を離れた後、そんな集団に対する思いは無くなり、死んでしまった友人のシロのことを冷静に言えるようになった。古い友達のつくるの前で以前のことを語った感情を表すことはまったく無い。つまり、アカはすでに共同体を離れ、人生の新しい段階に入った。以前の集団への熱意は全部なくなったとは言えないが、彼とつくるの対話により、集団を離れたことは彼にとって、とんでもないことが分かった。集団を離れたことは彼にとって大きな変化であった。集団を離れることで、彼はありのままの自分を見つけ、経営者として大きな成功を得た。アカが集団を離れた後の集団意識はかなり薄くなったと考えられる。
3.2.2 白根の集団意識の喪失
集団を離れた後のシロの集団意識を分析するために、以下の幾つかの段落を引用した。
(前略)一人暮らしをして、子供たちにピアノを教えていた。たしかヤマハの音楽教室に勤めていたはずだ。どうしてわざわざ浜松に行ったのか、そのへんの詳しい事情は知らない。名古屋でも仕事くらい見つけられただろうに。」[18]
上記の段落はアカのセリフである。彼の話により、シロが集団を離れた後の生活様子が説明されている。シロもつくるのように、実家を離れ別のところで一人暮らしをしていた。それはつくるのまねをしていたと考えられる。違うのはただ時期である。つくるは高校を卒業した次第に、実家の名古屋を出ることを決めたが、シロは大学を卒業した後、同じ選択をした。彼女は大学を選んだ時に、不承不承周りの人に説得され、入りたくなかった音大に入った。やっと大学を卒業し、自分の心に従い自分の道を選べるようになった。
「彼女が殺される半年ほど前のことだけど、仕事で浜松に出向くことがあった。そのときシロに電話をかけ、食事に誘った。その頃にはもうおれたち四人は事実上ばらばらになり、顔を合わせることもほとんどなくなっていた。たまに連絡を取り合う程度だ。」[19]
アカの以上のセリフにより、つくるを共同体から排除した後、他の四人もほとんど連絡がない状態であった。実際に、これはシロが見たかった結果だと思われる。彼女はつくるが自分をレイプしなかったことが分かっているのに、みんなに嘘をつき、つくるにレイプ犯の罪を着せることにより、つくるを共同体から追い出した。彼女は他の人よりずいぶん前からすでに共同体の軸がつくるだということに気づいたはずである。集団を脱出したい彼女にとって、唯一の方法はつくるを共同体から追い出すことにより共同体を解体することである。つまり、集団が解体されたことはシロにとってまさに好都合である。彼女はつくるに東京の大学に行くと決めたことを告げられた時から、集団への思いはすでに無くなった。
3.2.3 多崎つくるの挑戦意識
集団を離れた後のつくるの集団意識を分析するために、以下の幾つかの段落を引用した。
「その理由を知りたいとは思わなかったの?」
「どう言えばいいんだろう、そのときの僕には、何もかもがどうでもよくなってしまったんだ。(中略)その原因を追及し、そこでどんな事実が明るみに出されるのか、それを目にするのがきっと怖かったんだと思う。真相がどのようなものであれ、それが僕の救いになるとは思えなった。どうしてかはわからないけど、そういう確信のようなものがあったんだ」[20]
上記のように、つくるは集団に排除された理由を聞こうもせずに、他の四人と絶交した。彼自分の話により、仕方ない何もかもがどうでもよくなってしまったことが分かった。彼の話のように、「自分の中で何かが切れてしまった気がした」。その「何か」は実際に集団への思いだと思われる。しかし、彼はその原因を追及することもせず、事実を目にすることさえも恐れる。真相は一体どういうことだと分かっても自分の救いにはなれないと彼は確信した。実は、作者はつくるが集団を離れる前に、すでにジレンマがあるつくるの行動で、彼の集団意識を掲げるために伏線を置いた。人間は意識下の自我に促され選択しているのである。つくるは自分の夢を実現するために、共同体と親友を捨て上京したのである。従って、実際に集団を解体させたのは他の人ではなくて、つくるこそである。彼は潜在意識下の自我に従い、集団を離れたことを選んだ。それゆえに、多崎つくるという人物の潛在意識には集団を脱出したい思いが存在しているということが分かった。こう見れば、彼の行動はまったく集団への挑戦だと言える。
4 多崎つくるへの嫉妬から見た集団意識の変化
本章では、赤松と白根が自分の心に従い、自ら集団を離れた多崎つくるへの嫉妬から見た集団意識の変化を論述する。
4.1 赤松の集団規制への無視
赤松の嫉妬から見た集団意識を分析するために、以下の幾つかの段落を引用した。
「なるほど。多崎つくるくんは望みどおり駅を作ってるわけか?」「ひとつわかってほしいんだが、おまえは東京に出て行き、あとの四人は名古屋に残った。何もそのことをどうこう言うつもりはない。ただ、おまえには新しい土地での新しい生活があった。(中略)育った土地を離れ、気の合う親友たちと離ればなれになることが怖かったんだ。そういう心地よい温まりをあとにすることができなかった。寒い冬の朝に暖かい布団から出られないみたいに。そのときはあれこれもっともらしい理由をつけたが、今ではそれがよく分かる」[21]
上記のアカのセリフにより、アカは自分の心に従い自ら実家を離れ、自分の夢を実現するために一人で上京する勇気を持った多崎つくるのことを感心していたことが見える。感心するというよりも、むしろ憧れており、妬んでいる方が適切だと思われる。だから、アカはシロに自分がつくるにレイプされたと告げられた時に、身近におり、まさかそんな噓をついたシロを切るより、共同体を離れよそものになったつくるを切る方が言うまでもなく実際的選択だと認め、ほかの三人と一緒につくるを排除した。これこそ、つくるへの嫉妬だと言える。つまり、アカもつくるのような自ら集団を離れた勇気を持った人になりたくて、自分の本音を出したいという願望を持っている。実際に、集団を離れた後のアカもそうであった。
「実際に結婚してみるまで、自分が結婚に向いていないということが、おれにはわからなかった。(中略)人は多く、産業も盛んで、ものは豊富だが、選択肢は意外に少ない。おれたちのような人間が自分に正直に自由に生きていくのは、ここではそう簡単なことじゃない。」[22]
上記の描写により、アカは自分が同性愛者であり、彼のような人間が自分なりに自由に生きていくのは、名古屋では難しいことであるという本音をつくるに告げた。それこそ彼が自分の心に従い、自分なりの生活への第一歩を踏み出していることを表している。
要するに、アカは最初の集団のために自分を犠牲にする「アカ」から、今の正直にありのままの自分に直面する勇気を持った「アカ」になった。無論、アカの最後の話により、彼が集団からの同調圧力を気にしていることが見える。ここに彼の無力感が感じられるが、彼は自分が同性愛者であることを言えるようになったのは、他人の目または集団の規制を無視できるようになったからである。
4.2 白根の集団規制への抵抗
白根の嫉妬から見た集団意識を分析するために、以下の幾つかの段落を引用した。
「でもなぜそんな話になったんだろう?どうしてその相手は僕でなくちゃいけなかったんだろう?」(中略)
「それはつまり、ユズは僕に嫉妬したということ?つまり君が僕に対して、異性としての好意を抱いていたから」
エリは首を振った。「それが潜在的な理由のひとつになっていたかもしれないという程度のことよ。」[23]
上記の段落により、シロが集団より自分の夢を選択したつくるのことに、嫉妬を持っていたことが分かった。
前記のように、シロは東京に行ったつくるに、失望と怒りを持っていたので、自分がつくるにレイプされたという嘘をついた。彼女は自分のためにつくるを集団から排除し、集団を解体させた。人間は、意識し選択決断しないで、意識下の欲動すなわち自我により行動することがある。シロが、つくるを排除させたのは、嫉妬であった[24]。同時に、シロが集団を脱出したいとの考えも解明された。
上記の論述により、アカとシロは、自ら集団と親友を離れ東京に行ったつくるに嫉妬を持っていた。三人は集団に属し、集団を守るべきだったが、集団を解体させたのはほかではなくて、彼ら自身である。彼らは潜在意識の下で、集団に属した時からすでに各自の欲望を満たすために、精神的で集団を壊していた。
要するに、アカの集団意識は最初の集団のことを大切にしていた集団意識から、今の集団への思いが無くなった希薄な集団意識になったが、シロは最初の自分の悔しさを隠しみんなに従った集団意識から、今の集団への抵抗意識になった。主人公の多崎つくるは、作品における集団意識への第一挑戦者という人間像が作者に描かれたと考えられる。
参考文献:
[1] 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の描写により、五人グループの中で、多崎つくる以外の二人の男子の姓は「赤松」と「青海」で、二人の女子の姓は「白根」と「黒埜」だった。多崎だけが色とは無縁だ。その後、他のみんなは当然のことのようにすぐ、お互いを色で呼び合うようになった。「アカ」、「アオ」、「シロ」、「クロ」というように。多崎はただそのまま「つくる」と呼ばれた。
[2] 同上。村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P8.
[3] 同上。村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P8.
[4] 同上。村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P8.
[5] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P7.
[6] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P9.
[7] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P7.
[8] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P23.
[9] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P26.
[10] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P15とP16.
[11] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P24.
[12] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P24.
[13] 太田鈴子「村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』――心から誰かを求められる素晴しさ――」.『昭和女子大学学宛第八九三号』.2015年3月.P19.
[14] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P186.
[15] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P191.
[16] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P192.
[17] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P197.
[18] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P199.
[19] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P199.
[20] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P36とP38.
[21] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P183とP196.
[22] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P204とP206.
[23] 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』.講談社,2013年.P293とP295.
[24] 太田鈴子 「村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』――心から誰かを求められる素晴しさ――」.『昭和女子大学学宛第八九三号』.2015年3月.P19.