APP下载

日中両国の非言語行動の異同点

2013-04-29罗宵月

西江月·上旬 2013年8期

罗宵月

【摘 要】本論文は中日両国の非言語行動についてのいくつかの面を述べる。同じ行動を始めから、別々に両国異文化の表現および特徴を述べ、、中のつながりと異なりを探し、比較し、それによって、非言語行動が異文化コンミュニケーションにおいて重要な役割を果たしていることを証明する。

【关键词】非言語行動;異同点;日中両国

「ボデイ·ランゲージは、非言語行動コンミュニケーションの分野に属し、人々が社会的なコンミュニケーションを行うときに用いられている記号である。」(注:原文は中国語、日本語訳は筆者による)つまり、人類に共通した部分があるが、しかし、その多くはその民族の独特な歴史や社会環境によって、伝承されたものである。

同じく、コンミュニケーションを行う場合、対人距離、物品表現メッセージ、などという非言語行動はある意味、さまざまな役割をする。だからこそ、われわれは非言語行動の詳細性を理解する必要がある。

一、対人距離

コンミュニケーションを行う場合、相手とどれだけの距離があるかによって、立場や親近感の度合いが表現される。友人関係においては、近づきすぎると、なれなれしいと思われたり、離れすぎていると、よそよそしいと思われたりする。

中国人と日本人のコンミュニケーションにおいて、日本人が戸惑いを感じることの一つは、中国人の対人距離は日本人より近いということがあげられるようである。こちらの大学で講義を担当している日本人の先生たちに聞いてみたら、「こちらでもう何年も仕事をしているが、それでもなれないことの一つは、学生から質問を受ける場合、中国人の学生のとる距離は近すぎるということであり、場合によって、身体接触もあるほどである。学生のほうは別に悪意もないし、無意識な行動なのでこちらはあまり後ろに引き下がるのもなんだし、……」という答えがかえってくることがある。

「一般に日本では日常会話の標準的な距離は、一メートルぐらいとされている。自分の息が話し相手にかからないほどの距離をとらなければならない。」1それに比べて、中国の場合それよりかなり近い。

そして、中国において、同性の友達同士が手をつないだり、腕を組んだり、肩を組んだりすることがよくあるが、それは日本人から見れば、やはり異様に感じられる。日本人は常にお辞儀をする民族だといわれている。同時に、お辞儀をする国は、キスや、握手をする国と比べて、もっと広い人間交際空間が必要である。出会うとき、中国人はまず儀礼として、握手をする。それは日本人にとって、なんだか心地よくないと思われる。日本人にとっては、礼儀正しい適切な距離がある。礼儀ただしい距離というのは社交距離あるいは業務距離であり。これからますます大きくなっていくだろう。

人間関係は非常に複雑であり、対人距離もそれぞれ異なる。「一般的に言えば、感情の親しさ、関係の遠さ、場合と会話の内容の違いによって、対人距離に影響を与える。」2社会のコンミュニケーションの中で、われわれは個人の空間が公共の空間に合わせなければならない、一方、異なる文化を理解する必要もある。適応的な対人距離は人間の交流の順調に進める。逆に、不適切な対人距離は交流をさまたげるばかりでなく、誤解、不利を産む。

二、物品表現メッセージ

日常生活において身に着けているものや、用いる品物は文化を象徴し、異文化コンミュニケーション上、興味深い問題を提起している。

日本人は学校、あるいは体育館や図書館のような公共施設に入るときなど、一日のうち、何回もスリッパに履き替えたりするし、男の人の場合、容易に靴を脱ぎ、食事をしたり休憩を取ったりするようなときには、靴下だけになったり、裸足なったりする。スリッパ姿でキャンパスの中を歩いたり、講義や仕事をしたりする。そして、靴下だけはいた足や裸足をさらすことはあまり気にしないし、他人に不快を与えることもないようである。

そして、日本では学校で、スリッパに履き替えるのは、室内の衛生を保つのが目的の一つであるが、それよりさらに重要な役割の一つには、内側と外側を区別させるということがあるように感じられる。なぜなら、スリッパを履いたまま部屋を出てキャンパスの中を歩きまわったりしているからである。時に、スリッパ姿でキャンパスを走っている人を見かけたり、その足音が教室まで聞こえたりするが、とても不思議で危なっかしく感じる。

そして、日本人の観光客や留学生たちは、海外に出かけても、自分の国にいるように、観光バスなどの公共交通手段を利用したり、教室で他の国の人と一緒に勉強したりする場合でも、簡単に靴を脱ぎ、イスの上にめぐらをかいたりする。スリッパ姿についての認識は文化背景によってさまざまであろう。

中国において、靴を脱ぐのは、自分の家のような私的な場所に限られる。スリッパ姿については、自分の家のような私的な場所に限られる。スリッパ姿については、学校の規則やホテルなどの注意事項では、「スリッパ姿では入ってはいけない」と明記してあるように、正式な公的な場所では、避けるべきものとなっている。

経済が急速に発展し、人々の生活が豊かになり、リフォームなどの内装工事が都会では極普通になってきたため、多くの家ではスリッパに履き替えるようになった。しかし、自分の家でスリッパを履くのはいいが、他人の家でスリッパに履き替えるのに抵抗を感じ、「もし誰かの家でスリッパに履き替えろと言われたら、これからもその家に行かない?という人もいるほどである。その一方、本当のところ、ハイヒールなどのお客さんに土足のまま入られたら、後始末は大変だし、床に敷いてあるものを心配し、はらはらしているが、お客さんにスリッパを勧めないことを礼儀と考え、遠慮することもある。

他人の前で足をさらすのに羞恥を感じる、という古くからの考えが、まだ根強く残っていると考えられる。もっと現実的になり、合理的に考え、あまり神経質にならないほうがいいと思うが、習慣勢力や固定観念というものは、すぐには変わらないようである。

日本と中国の非言語行動の異文化を比べ、文化の社会背景は深い絆を持っているが、異なるところも多くあるとしみじみ感じる。そのため、いろいろ非言語行動という小さなところから、文化の異同点をよく理解しなければならない。

【参考文献】

[1]田中春美.社会言語学への招待[M].シネルウァ書房,2000:199.

[2]王秀文,孙文.《日本》——文化与跨文化交际[M].世界知识出版社,2004.