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初級中国語学習者における文法と発音の誤用に関する考察

2019-03-08白煜

西部论丛 2019年4期
关键词:文法結果意味

一、自由な発話を目指して

現在、日本の第二外中国語教育において、学習者を中心としたコミュニケーションや会話能力の育成を目指した授業を行うべきであるという意見を中国語教育に携わる様々な場で耳にするようになった(筆者が2016年から2017年に関西地区と北陸地域の中国語学習者を対象とした調査でも、学習者の7割以上が会話を中心とした中国語を学びたいという結果が出ている。

しかし、日本の大学における第二外中国語教育は、実質的には週2回、1年間を通し、でわずか90時間しかない(大学や学年によっては週1回しかないところもある)。このような限られた授業時間の中で、文法や発音の規則に沿って会話を中心にした授業を行ったとしても、ほとんどの学習者にとって、中国語を通してコミュニケーションをすることなど不可能に近いものがある。その結果、1年間、中国語を勉強したとしても、規則的な文法や発音どころか、簡単な会話でさえもできない学習者が多く存在することになってしまうというのが現状である。

実際、限られた第二外中国語の授業時間の中で、学習者は情報を詰め込むかのように新しい文法や語彙をインプットし、これまで学んできたことをアウトプットすることを強いられる。その結果、第二外中国語学習者の中国語の学習に対し、興味が湧かないまま1年~2年という学習期間が過ぎ去り、挫折することも多くみられた。もちろん、語学を学ぶ過程の中で、規則的な文法の学習や発音を学ぶことを避けて通ることはできない。しかし、現在の第二外中国教育の現状を変えるには、外国語を通して自分のこと伝えることに楽しみを見出すこと、すなわち規則的な文法や発音に捉われるのではなく、誤用することを恐れず、自分のことを積極的に発信するという点に、授業の目標をシフトすることが必要ではないだろうか。

これまでも、様々な角度から日本語母語話者が中国語を学ぶ際に苦手としている文法や発音に関する研究がなされ、教師も学習者の誤用に対し多くの注意や指摘を行ってきた。しかし、実際に学習者が苦手としている文法や発音の誤用に対し、中国語母語話者はどのように捉えているのか、これまで調査や研究が行われることはなかった。 そこで、本論では大学の中国語I、中国語IIの授業で得た日本語母語話者の文法および発音における誤用をデータとして収集し、それを中国語母語話者に提示した上でそれらの誤りに対し、コミュニケーションに支障があるか否か、考察を行った。今回の調査の結果を通し、今後の第二外中国語教育に関し、次の3点を実現できるきっかけとしたい。

(1)これまでの第二外中国語教育で見られてきたように、限られた授業環境や授業時間のもとで、規則的な文法や発音を第一としてきた教育、あるいは指導の方向性を見直す。

(2)第二外中国語学習者の文法や発音に関する学習の苦手意識や恐怖心をできるだけなくす、または克服させる。

(3)規則的な文法や発音規則に縛られず、または必要以上に意識せず、積極的に学習者に自己表現のためのアウトプットをさせていく環境づくりを大事にする。

二、文法における誤用

本調査で使用するデータは、実際に初級中国語の授業で得た72名の学習者によるもので、それぞれ了,把,会と能、そして个(量詞)に関する誤用表現である。これらの文法は、筆者が担当する第二外中国語でもよく誤用のみられる文法事項であるため、今回の調査は、この5つの文法誤用に特化したものを選んだ。また、今回、調査で使われる日本語母語話者の誤用表現のある文はすべて文法に誤用があるもの、または、表現的に不自然さが感じられるものである。これらの誤用表現を項目ごとに分け、中國に在住している中国語母語話者180名にみせた。日本ではなく、中国に在住している中国語母語話者を対象とした理由は、一般的に彼らは日本語を学んでいない。したがって、文法誤用のある中国語の文が理解できるものであるかを判断する際、日本語の文法構造で認識しないため、意味が通じるかどうかという基準がより明確で正確なものとなるのではないかと考えた。そして、文法上に誤用がみられる了、把、会、能、个(量詞)が、次の項目のA~Cのどの項目に当てはまるか回答してもらい、初級学習者が書いたこれらの誤用表現を理解できるかどうか、また通じるかどうかを考察した(なお、質問の回答に答えてくれた中国語母語話者には、調査で扱った日本の初級学習者による誤用表現は、文法上の誤用があるものであることは伝えていない)。

A 表現的に理解でき、かつ文法的にも正しい。

B 表現的には不自然ではあるが、文法規則に沿っているか否かに関係なく意味は通じる。

C 表現的にも不自然さがあり、文法的にも誤用がみられ、且つ意味も通じない。

今回の調査の目的は、この180名の中国語母語話者の回答により、日本の第二外中国語教育において、文法の規則に則った外国語教育は必須であるという考え方を今一度見直すためである。文法上に誤用があっても、実際には中国語母語話者には意味が通じ、自然にコミュニケーションを行う上で支障はないと考えられる観点を強く位置づける根拠としたい。

(一)了における誤用について

まず、初級で習う了から誤用表現が挙げられる。以下の誤用は実際に授業で得られた誤用例であり、72名の中国語学習者の調査に基づくデータである。

(1)*听他的话,母亲感动地流泪了。

A.40% B.73% C.10%

(2)*才换衬衣又脏了。

A.40% B.56% C.4%

(3) *吃这个汉堡我们再继续讨论吧。

A.11.9% B.80.5%C.7.6%

(4) *我听见了有人说了话。

A.18.6% B.75.4% C.5.9%

(5) *在车站我看见了有乘客插了队。

A.32.2% B.66.9 C.0.8%

(6) *去年冬天为了预防感冒,我每天喝了姜汤。

A.12.7% B.85.6% C.1.7%

(7) *小学的时候我天天听了英文广播。

A.7.6% B.90.7% C.1.7%

(8) *小时候他的体质不好,所以经常感冒了。

A.20.3%B.77.1% C.2.5%

(9) *10年前这个公园在日本很有名,因为一到春天,常常能看到了樱花。

A.9.3% B.79.7% C.11%

(10) *一年前我去北京留学的时候,经常吃了北京烤鸭。

A.6.8%B.87.3% C.5.9%

(二)了における誤用についての分析

了の誤用表現に関して大まかに(1)から(3)、そして(4)から(10)までに分けることができる。まず(1)から(3)に分けられるものは、最初の動詞の動作が完了してから、第二の動詞の動作)が発生する誤用①の文である。

(1) *听他的话,母亲感动地流泪了を例に例えると、最初の(動詞の動作)である、听他的话の听が、実現·完了してから初めて第二の動詞の動作である、母亲感动地流泪了の流泪了が発生するのである。すなわち、听他的话(彼の話を聞いてから)、母亲感动地流泪了(母は感動して涙を流した)となるのだ。

誤用(3)の場合、*吃这个汉堡我们再继续讨论吧(このハンバーグを食べ終えた後、私たちは引き続き討論しましょうという意味になる)が(3)の場合、最初の動作にあたる吃の後に動作の了が入っていない。

誤用②の(4) *我听见了有人说了话と(5) *在车站我看见了有乘客插了队はいずれも了を必要としない文である。これは、主部の動詞である听见了(聞こえたと看见了(見た)が既に節内の说话と看见が実現済みであることを含意しているためである。

誤用パターン③は(6) *去年冬天为了预防感冒,我每天喝了姜汤から(10) *一年前我去北京留学的时候,经常吃了北京烤鸭。である。

これは、了がいらないという点に関しては、パターン②と共通していることであるが特徴としてあげられるのが、いずれも状語(例えば(6)の場合は、文中の中の去年)が既に過去の出来事であることを表しているため、完了の了は必要ないのである。

このように、了における誤用表現は調査結果から見ると、(2)のB.56%を除き、(1)、(3)から (10)を含め、すべての誤用例においてB表現的には不自然であるが、文法規則に沿っているか否かに関係なく意味は通じる?と考える中国語母語話者の割合がほぼ70%以上であることが分かる。さらに(7)「*小学的时候我天天听了英文广播に関しては90%以上、すなわち、回答してくれた180人中、ほぼすべての中国語母語話者が B表現的には不自然であるが、文法規則に沿っているか否かに関係なく意味は通じると感じている。

もうひとつの特徴としては、次のようなものが挙げられる。(1)~(10)までは本来、文法的に誤用がある文にも関わらず、(8)*10年前这个公园在日本很有名,因为一到春天,常常能看到了樱花を除き、すべての誤用表現をC表現的にも不自然さがあり、文法的にも誤用が見られると考える中国語母語話者の割合は少なく、むしろ、A表現的に理解でき、文法的にも正しい?と考える中国語母語話者の方が上回っている。すなわち、第二外中国語学習者の誤用表現は、中国語母語話者でも指摘されなければ気づかないことがあるということだ。

(三)「把における誤用について

授業の際、把に関して、多くの学習者が間違えやすい誤用がみられる。把をつけることによって状況や結果状態を表すため、通常は好、完、成、到在などの実質的な結果補語をつけることが一般的である。

(1) *我的父亲是大夫。他把我的病治了。

A.35.6% B.57.5 % C.6.8%

(2) *你离开这儿的时候把门关。

A.9.6% B.82.7% C.8.2%

(3) *哥哥把刚买的新衣服穿了。

A 39.7% B.53.4% C.6.8%

(4) *来客人了,所以妈妈把茶倒了。

A.12.3% B.56.2% C.31.5%

(5) *我把今天刚上映的电影看了。

A.49.3% B 47.9% C.2.7%

(6) *老师把大豆做豆腐了。

A.28.8% B.64.4% C.6.8%

(7)*我想把这束玫瑰花送爱人。

A.23.3% B.71.2% C.5.5%

(8) *我把房间应该收拾收拾。

A.12.3% B.82.2% C.5.5%

(9) *你把手套要放在哪儿吗?

A.15.1% B.53.4% C.31.5%

(10) *台风把伞没刮坏

A.12.3% B.76.7% C.11%

(11) *今天我把花儿想送我奶奶家

A.24.7% B. 72.6% C.2.7%

(四)把における誤用についての分析

把の誤用表現を考察すると、誤用表現の種類は次の誤用①、誤用②、誤用③に分けることができる。まず誤用①、すなわち(1)から(7)まではみられる誤用はすべて、本来、結果補語を補わなければいけない表現であるため、本来であれば(1)治好了 治療した(2)关好 しっかりと閉める(3)穿上了 着た、などのようになる。

誤用②の(8)から(10)は、文の位置に誤用が見られる例である。通常、助動詞は述語動詞の前ではなく把の前に置かなければならない。従って、例として(8)も*我把房间应该收拾收拾ではなく、本来は、我应该把房间收拾收拾としなければならないのである。(10)は、否定形の文の誤用であるが、上記で述べた助動詞の他に、否定を表す副詞没も把の前に置く必要がある。

誤用③は、助動詞の想と、結果補語の送给の両方が抜け落ちているという両方の問題が見られる。

以上のように文の中の把における結果補語が抜けていたり把に対する助

動詞の位置の問題がみられても、(1)から(11)のすべての誤用例を通して、B 表現的には不自然ではあるが、文法規則に沿っているか否かに関係なく意味は通じると答えた中国語母語話者の割合が一番高く、実際には、コミュニケーションや意味を伝達する上で、影響が少ないということが分かる。

しかし、(4)だけ*来客人了,所以妈妈把茶倒把了。だけは、本来、满という結果補語を入れることで、お客様が来たので、お母さんはお茶を一杯いれた。という意味となるはずである。しかし满という結果補語を入れていないため、茶倒了(お茶を捨てた)という意味になってしまった。それによりに、前文の来客人了と後文の所以妈妈把茶倒了の意味がお客様が来たため、お母さんはお茶を捨てたという意味になり、結果的に前文と後文において意味的な繋がりが分かりにくいものとなった。その結果、C.表現的にも不自然さがあり、文法的にも誤用がみられ、且つ意味も通じないと考えられる割合が31.5%と他の誤用例と比べ比較的高いものとなった。

(五)会と能における誤用について

この2つの語彙は、共に初級中国語でよく使われる語彙であり、両方とも可能であることを表す助動詞であり、日本語に訳した際、どちらもできるという意味に訳すため、初級中国語学習者はどちらを使うのか比較的難しいと感じることが多い表現でもある。通常、会の方は、目に見えてできることが表現できるときに使われることが多く、練習や勉強の末に獲得し、できるようになったということを表すのに対し、能は身体や環境条件が備わっていることで所有している能力であることを表すことが多い。

(1) *你在大海会游四百米吗?

A.8.2% B.64.4% C.27.1%

(2) *他会跑100公里。

A.18.6% B. 47.5% C.33.9%

(3)*你好好休息吧我能每天去看你

A.27.1% B.55.9% C.16.9%

(4)*不洗手不會吃甜点。

A.16.9% B. 52.5% C.30.5%

(5)*我用汉语会聊一个多小时。

A.18.6% B.61% C.20.3%

(6) *你酒量大, 会喝就多喝一点儿。

A.55.9% B.39% C.5.1%

(六)会と能における誤用についての分析

(1)*你在大海会游四百米吗?(2)*他会跑100公里は、練習や訓練を得て、泳げるようになった、あるいは走れるようになったという技術を習得したことを表したいため、ここでは、どちらも会が使われている。しかし、基本的技能を習得したことに対し、習得度を更に表現したい時は、会ではなく、能を使うことが一般的となる。したがって、(1)は、你在大海能游四百米吗? (2)他能跑100公里ということになる。(3)*你好好休息吧我能每天去看你の能はできるということを表す他に、将来の予測を表すが、第三者から見たような客観的な予測を表すのに使うことが多い。例えば、刮这么大的风她能来吗?(こんなに風が強いのに、彼女は来るのだろうか)、の使い方ができ、それに対し会は実現の可能性をより主観的に表し、肯定する場合に使われることが多い。そのため(3)は、你好好休息吧我每天会去看你(ゆっくり休んで下さい。私は毎日あなたを見舞いに行きます)となる。

(4)は*不洗手不会吃甜点。(手を洗わなければ、デザートを食べてはいけない)という食べることが可能かどうかを聞いているため会ではなく能となる。

(5)は*我用汉语会聊一个多小时 (6) *你酒量大, 会喝就多喝一点儿(あなたはお酒

が飲めるから、飲めるだけもっと飲みなさい)はどちらも、話せる時間が長いこと、飲むことができる量が多いという能力的なことを表しているため、会を使う代わりに能を使う必要がある。

この中でも特徴的なものは(6)*你酒量大, 会喝就多喝一点は、誤用のある表現にも関わらず、A55.9% という最も高い割合で、全体の半分以上の中国語母語話者が表現的に理解でき、文法的にも正しいと考えている。

本来、お酒を飲むという中国語は、能喝酒お酒が飲めるという能力的なことを指す言い方と会喝酒、(お酒の量に関わらず、お酒をどれほど飲んでも味わって楽しみながら、飲めること)を指すため、単にお酒を飲むという短い文であれば、能と会どちらとも正解となる。この文では、前文で*你酒量大と量のことを述べているため、会ではなく、能力そのものを表す能が正解となる。

(七)量詞における誤用について

(1) *我有一个眼镜。

A.57.6% B.40.7% C.1.7%

(2) *日本有好几个森林。

A.55.9% B.35.5% C.13.6%

(3) *我家有一个可爱的猫

A. 57.2% B.37.2% C.5.6%

(4) *你有几个汉语字典?

A.50.4% B.39.1% C.10.5%

(5) *你有几个笔?

A.58.1% B.34.9% C.7%

(6) *我刚才打了一回哈气。

A.21.9% B.64.4% C.13.7%

(7) *我给你打一回电话方便吗? 一が省略されている

A 4.1% B 53.4% C.42.5%

(八)量詞における誤用分析について

これまでの誤用表現と比べ、明らかに異なる点が見られる。(1)から(5)までのすべての量詞の誤用表現に対し、半数以上の中国語母語話者A表現的に理解でき、文法的にも正しいと捉えている。日常生活の中において、使用する頻度が高いと考えられる量詞は个である。例として、一人、二人とヒトを数える時も(一个人,两个人)、ひとつのコップ、二つのコップなどの物に対する量詞も(一个杯子,两个杯子)という。そのため、対象となるものの量詞が曖昧だと感じた場合、無意識のうちに、文法的に正しい量詞よりも直接个を使う傾向が強いと推測できる。

特徴的な例として、(6)*我给你打一回电话方便吗? である。これは、中国語母語話者がB?表現的には不自然ではあるが、文法規則に沿っているか否かに関係なく意味は通じる?が53.4% と比較的高い割合で選択されている。

日本語では一度お電話をさしあげてもよろしいでしょうかという電話を掛けなおす際の決まり文句がある。したがって、中国語で一度お電話してよろしいでしょうかという文を見ると、直感的に一度の量詞が日本語では一回という中国語に訳せると認識してしまうため(6)の誤用が生じると考えられる。

また、中国語では一般的に文中の数詞一は通常、省略することが多い。そのため*我给你打一回电话方便吗?という文は、数詞の一が省略された後,量詞が个に変わるため、我给你打个电话方便吗という文になる。しかし誤用のままの

*我给你打一回电话方便吗?という文でも、量詞に違和感はあるが、意味は通じるため、Bの表現的には不自然ではあるが、文法規則に沿っているか否かに関係なく意味は通じるの比率が高かったといえる。

(九)文法誤用に関するまとめ

本章の文法編では、文法的に正しいかということではなく、文法が規則的に正しくなくても相手に伝わるのか、通じるのかということに主点をあて、その結果を考察したことにより、いくつか新しい発見を得ることができた。

まず、了把会能个(量詞)、そして、様々な数量を表す語句の誤用表現のすべてに関して、文法的な間違いがあったとしても、中国語母語話者は全体的に、B表現的に不自然であるが、文法規則に沿っているか否かに関係なく意味は通じるを選択する傾向が強くみられた。これは、第二外中国語学習者がコミュニケーションの際、規則的な文法に沿っていない中国語であったとしてもコミュニケーションを行う上で支障はなく、意思伝達ができており、意味が通じているということを示しているということである。

次に、誤用がある表現でも意味的に通じるものであれば、中国語母語話者は、Cの表現的にも不自然さがあり、文法的にも誤用がみられ、且つ意味も通じないより、むしろA表現的に理解でき、かつ文法的にも正しいの方を選択していることが多い。また、誤用表現によっては、中国語母話者であっても文法的にも間違いではないと考える例もあった。多くの中国語学習者が、日本語母語話者の誤用をみても表現的には理解でき、コミュニケーションを行う上では問題がないと感じていることが読み取れる。本章の文法編の調査により、文法上の規則に誤用があっても、実際には中国語でアウトプットをすること、中国語母語話者とコミュニケーションする際でも、大きな支障となることはないという筆者の観点を裏付けるものではないだろうか。

実際、わたしたちが第二言語教育の指導や習得に携わっていく過程の中で、目標言語に対し不足感を抱く学習者を多くみる。[1]陸は、学習者は日本語教育の授業の際、文法や発音に関する規則、あるいは形式のこだわり意識を強く持っており、話す時、書くときに常に自分の話している日本語が文法に合っているかどうかに捉われて、自由に言いたいことを言えない状態になってしまうことがあると指摘している。ここでいう形式のこだわり意識とは、ある言語を第二言語として学習する際、文法的に正しいかどうかに、または発音の規則に拘泥する意識を指す。

自己表現や意思伝達を行う際の文法構造の正確性については、筆者は形式のこだわりに意識を向けさせるがあまり、それが原因となり自己表現のためのアウトプットに影響を與えることはよくないと考えている。歴史的な教授法変遷の中で、文法翻訳法やオーディオ·リンガル法から、コミュニカティブ·アプローチが開発されたように、どれほど文法や文型など知識の量をストックしても自己表現の向上には簡単には結びつかないのである。

わたしたちは、言語構造や発音の規則だけを通して意思伝達をしているわけではなく、言葉の前後の文脈や表情、雰囲気や環境など様々な要素の中で、コミュニケーションを行っている。したがって形式の多少の間違いは、自己表現を行う上で大きな問題にはならない。これからの第二中国語教育においては、形式へのこだわりの意識から学習者を解放させ、自己表現させる指導や環境づくりがますます重要となる。

だが、これは、学習者に文法上において間違った誤用を起こしても、指導をしてはいけないという観点を支持するものではない。週2回、1年を通し90時間しか授業時間のない学習者に対し、行き過ぎた文法指導はアウトプットさせる上でメリットがない。何よりも、学習者のアウトプットを積極的に進めることに重点を置くことこそが重要ではないだろうか。

三、発音における誤用

前節により、文法上の誤用があっても実際に中国語でアウトプットしたり、コミュニケーションを行う上で、大きな弊害(支障)はみられないという点を確認できた。それでは、発音に関してはどうであろうか。朱川(1997)の日本人留学生を対象とした研究では、日本人留学生の静態的な声調には、例として次のような特徴がみられるという。

(1)第一声に関する誤用数は非常に少ない。先行研究では、第一単音節による第一声の誤用は少ないが、多音節になると、初級者に関しては誤用も増えてくる傾向が見られる。

(2)誤用数がいちばん多いのは第二声と第三声であり、第二声を平らな声調や上がりがあまりない声調に発音してしまう傾向が強い。また第二声を第三声に近い声調に発音してしまう傾向がみられる。

(3)第四声の誤用は第二声や第三声より少ないが、第四声を平らな声調に発音してしまう傾向がある。

(4)双音節における単字音と単字音の間に一定のポーズをいれる傾向がある。

このように、日本語母語話者がどの声調を苦手としているのかという現状を知ることは非常に重要である。しかし、前述の通り、日本の第二外中国語学習者は、共通科目であるために授業時間が少なく、声調の誤用を修正するための時間が多くなると学習者の中国語に対するモチベーションを下げる原因となる。

そこで、筆者は、声調誤用のある単語を例文に入れ、第二外中国語学習者が読んだものを中国語母語話者に聴かせた。どこまで聞き取れるか、会話によるアウトプットをする際、コミュニケーション上、支障があるかどうか調査を行った。この調査の結果により、声調に多少誤用があったとしても、意味が理解でき、意思伝達をすることができるという、筆者の観点を支持することができるのではなかと考える。また、調査の結果により、第二外中国語学習者の声調に関する指導法にも改善が期待できるのではないかと考える。

(一)発音の誤用に関する調査

筆者が現在担当している、第二外中国語の授業の中でランダムに、中国語の発音に関する調査を行った。

まず、学習者の誤用が多く見られる単語を選び、それを誤用のある声調のままで、例文にあてはめたものを日本語母語話者に読ませた。それを録音した上で中国語母語話者58名に聴かせた。回答の選択肢は、A意味が通じる、B意味が通じないの2種類とした。

使用した単語は、現在筆者が授業で使用している教材STAND COURSE―中国語の世界標準テキスト―入門レベル、STAND COURSE―中国語の世界標準テキスト初級レベル(北京語言大学出版社)から抜粋した。

また、この誤用のあった単語をそのままではなく、例文の中に組み込み、中国語母語話者に聴かせた理由は、1つの文章として伝えた方が、コミュニケーションの際、会話文として成り立つのではないかと考えたためである。誤用のある語彙の声調と例文は、下記の表1~表3の通りである。

まず、筆者が調査した結果、初級中国語学習者が苦手な一音節は次の声母が最も多いことが分かった。それを二音節でテストを行った結果、次の1~15の項目の中で、学習者が発音しがちな声調をデータとして、採取したのが表1~表3の①~③である。また、その声調を中国語母語話者に実際に聞かせ、誤用のある発音や声調が通じるのか調査を行った。

(二)声調において誤用のある表現の分析結果

以下は中国語母語話者に直接誤用を聴かせた調査の結果となる。

(1) 旅游3+2 lǚ yóu 我明天去北海道旅游。私は明日、北海道へ旅行へ行く。

3+2 旅游 lǚ yóuでみられる誤用の発音は、次の① 3+3liǔ yǒu、②2+2 lǘ yóu、③3+2 yǚ yóuとなるが、すべての声調の誤用に関して、70%以上の中国語母語話者が意味が通じ、理解できると答えている。①のliǔ yǒuと③yǚ yóuに関しては、声調は三声であっているがピンインに誤用がみられる。しかし、それでも文章として読んだとき、70%と72%と高い割合で、意味を理解し、通じている学習者が占めているといえる。誤用している音でも、全文を読んでいるため、それを聞いた中国語母語話者が意味は通じると答えている。また、1つの語彙としてピンインを誤用しても書けるが、それぞれの単語を別々にすると、声母を書くことができない学習者が多くみられる。すなわち第二外中国語学習者は、声母やイン母を覚えていない。授業時間数が少ないため、発音、語彙、文法も会話もバランスよくやることが難しいと考える学習者もいるため、やはり何らかの形で授業の現状を考える必要がある。

(2)2+1 房間fáng jiān 我的房间号是301 私の部屋の番号は301です。

①~③に関しては、98%とほぼ100%で、第一音節の声母(この場合はf)とその声調が正解である場合、第二音節のピンインの声調(この場合はchiān)に誤用があっても高い確率で意味が通じるとみられる。③も①と同様に、第一音声の声母がfであるため、第二音節の声調(qiān)や(jiān)に誤用があっても高い割合で中国語母語話者が意味を理解できると答えている。

(3)1+2 非常 fēi cháng我非常喜欢日本 私は非常に日本の生活が好きだ。

これまでの先行研究によると、中国語母語話者は、第二声と第三声を誤用してしまう傾向がよくあることがみられる。筆者の今回の調査でもその点に関しては、共通してみられるものである非常の①でも同じようにことがいえる、すなわち、第二音節の漢字が、本来は、二声(cháng)であるが、ここでは、三声(chǎng)の誤用になっているといえる。しかし、それでも82%という高い割合で、中国語母語話者が意味を理解している。

②の非常の声調誤用に関しても、興味深い特徴をいくつか発見することができる。これまでの先行研究では、1声は声調を聞き間違えたり、誤用する傾向が非常に少ない声調であるといわれている。しかし、ここでは、第一音節の声母の声調(f)を第一声から、第二声に誤用していることが分かる。しかし、意味が通じる割合が80%以上と非常に高い。③の非常の声調誤用に関しても、日本語母語話者が、本来、第一音節の声母を第四声に、また、本来第二声の第二音節を三声に誤用している。しかし、この誤用に関しても、中国語母語話者は74%で意味を理解している。また、非常の誤用においても①~③の声調誤用を通して言えることは、第一音節と第二音節において、それぞれ誤用はみられるが、それでも、第一音節の声母において、誤用がみられないため、意味が伝わる確率が高いといえる。

(4) 经常jīn chǎng 他(经常)去美国 彼はよくアメリカに行く

本來の声調は经常jīn chǎngと一音節が一声、二音節が三声となる。しかし、②と③と両方で、第一音節が第二声の誤用がみられる。また、第二音節のchanは本来、二音節であるが声調誤用③では、第三声に聞こえる学習者も見られる。ここでも日本語母語話者が二声を三声に聞こえてしまう学習者が多くいることが分かる。

(5)2+4 :红色 hóng sè 我最喜欢的颜色是红色私が好きな色は赤です。

ここでは、発音に関する誤用に3パターンがみられる。

(1)声調誤用①に関して、第一音節のピンインは正確であるが、声調に誤用が見られる。一方で、第二音節はピンインと声調がすべて正解であるため正解率は高い。

(2)声調誤用②に関して、第一音節は正解である。第二音節の声調は合っているが、逆にピンインに誤用がみられる。このような結果から、ピンインに多少誤用があっても、通じると感じる中国語母語話者の割合が高い

(3)声調誤用③に関して?これも②と同様なケースで、第一音節の声調と第二音節の声調があっているため、第二音節のピンインに誤用が多少みられても、A意味が通じると考える中国語母語話者の方がB通じないと感じる母語話者より割合が高いといえる。

(6) 1+2中国 zhōng guó 我在中国生活已经10年了 私が中国での生活は全部で10年になる。

誤用声調②では、第一音節の声母が本来の音である“Zhōng”が“chóng”と大きなずれがあり、声調にも誤用がみられるため正解率が非常に低い。したがって、B意味が通じないと感じる中国語母語話者がA意味が通じると感じる母語話者を上回る結果となった。

一方で、声調誤用①と③に関しては、双方とも、第一音節においてピンインと声調の両方が合っているため、第二音節の声調にピンインに誤用が見られても、非常に高い割合で意味が通じていると考えられる。

(7)1+4 医院“yī yuàn” 我昨天感冒了,所以今天去医院了 私は昨日風邪をひいたので、今日病院に行きました。

①~③の第一音節の最初のピンイン“y”が正解であるため、声調が①のように、第三声になっていても、半分以上の中国語母語話者は、意味が通じると考えている。また③では、第一音節の最初の声質が正解であるため、第二音節に誤用が見られても、79.60%という高い割合で意味が通じている。③より①の割合が少ないのは、意愿(yǐyuàn )3+4声という語彙と同じ声調とピンインになってしまうためリスニング時に、全文でなく、単語であれば、正解率がもっと少なかった可能性も考えられる。

(8)4+1这些 zhě xiē这些都是我爸爸给我买的东西 これらのプレゼントすべて父が私に買ってきてくれたものです。

多くの先行研究が述べているように、日本語母語話者が苦手としているzheの発音であるが、①~③に関しては、すべて通じると考えている中国語母語話者が大半を占めている。一般的に多くみられるに誤用は、二声を三声に誤用することが多いというものであるが、①の例のように、四声を三声と聴き違える学習者もみられた。また、他に興味深い誤用としては、本来は、zhě xiēというピンインであるはずが、②のzhei xieのように、zheの後に無意識のうちにiをつける学習者がみられるということである。

(9)3+4: 跑步 pǎo bù 每个星期天早上我喜欢去跑步 毎週の日曜日、ジョギングをしに行くことが好きだ。

本来の音声は、pǎo bù、3+4声であるが、①では2声、②では1声の声調誤用がみられた。また、③に関しては、本来第二音節の“bu”が第4声が正解となるが、③では第一声になっている。ここで見られる特徴としては、三声の声調は、二声だけでなく、1声に誤用されるケースもある。しかし、①~③においてピンインにおいても大きな誤用はみられないため、意味が通じているという傾向が強いといえる。

(10)2+1 明天 míng tiān 我明天去学校考试私は明日学校に試験に受けにいく

多くの初級中国語母語話者が中国語を学び始めている段階で、発音時に二声と三声の区別ができないと答えている。しかし、③のmǐng tiānをみると分かるように、第一音節が三声で誤用の発音であるにも関わらず、85.7%の中国語母語話者が意味が通じると答えており、B意味が通じないと答えたのはわずか14.7%である。他の語彙においても三声から二声、そして二声から三声の誤用がよく見られるが、それが原因で文の意味が理解できない、あるいは通じないと答えた割合は非常に少ないのではないかと考えられる。

③に関しては、一音節に鼻音のgがついてないだけでなく、第二音節のtiānがtiénで誤用となっているにも関わらず、①よりも高い割合で、中国語母語話者の多くが、意味が通じていると考えている。

(11) 2+2同學tóng xué我同学的妈妈很漂亮私の同級生のお母さんは綺麗です。

同学の誤用例を見ていくと、A意味が通じると思うと答えた人は、②では、66%、更に、③では89.8%と非常に高い割合で、中国語母語話者が意味が通じていると答えている。ピンインは正しいが、声調に誤用があっても1声である場合は、多くの場合、中国語母語話者が意味を理解することができると考えられる。①も意味が通じていると考えている学習者は多いが、第一音節の声調が正しいにも関わらず、②と③の方が意味が通じると答えた中国語母語話者の数が多い。

(12) 我没有她好看 “没有méi yǒu” 私は彼女ほどきれいではない。

“没有méi yǒu”に関していえることは、本来の第一音節は没méiで、第二声であるが、①と②は共通して、両方の第一音節の声調に誤用がある状態である。しかし、これも同様に、中国語母語話者が89.1%と74%の高い割合で正解できていると答えている。③の第二音節は本来yǒuと三声であるにも関わらず、ここでは誤用で2声となっている。しかしこれもまたAが81.10%と非常に高い割合で中国語母語話者が理解している。一般的に第二声と第三声は、日本語母語話者が中国語を学ぶ中でよく間違うものとして知られている。しかし実際には、日本語母語話者が考えているよりも、中国語母語話者には通じている傾向が強い。したがって、授業において声調について必要以上の指摘を行うことはメリットにはならないのではないかと考えられる。

(13) 今天的天气(不好) 4+3 不好 bù hǎo 今日の天気はあまりよくない。

①に関しては、第一音節の最初の漢字のピンインが、本来は無気音のb(o)であるはずが、有気音のp(o)になっている。筆者の経験として、これらの声調は教材を見たと時に違いは分かる。しかし、リスニングで聞いたとき、特に初級学習者にとってその区別は聞き取れないこともある。にもかかわらず、実際には61.8%で意味が通じている。②に関しては、第一音節は声調が正解であるが、第二音節に関しては、本来第三声であるが、ここでは、第二声の誤用が見られる。しかし、84%の中国語母語話者は意味が通じると答えている。

(14) 飞机 fēi jī(飞机)8点四十分起飞飞机飛行機は8時40分に離陸する。

語彙そのものの声調よりも、むしろ全体的な文の流れが大切で、全文が大体わかっていれば、語彙の意味は大抵理解できるのはないかと考えられる。その証拠に①の第二音節の第二のziというピンインが違うが、文を理解している中国語母語話者が大勢いることが分かる。単語1個1個を完全に理解していなくても、実際、中国語母語話者が意味を理解している割合が高いといえる。

(15) 出门的时候弟弟对妈妈说再见 (zài jiàn)了 家を出る時、弟は母にさようならと言った。

(15)のzài jiànに関する声調の誤用に関しては、(8)で述べた4+1这些 zhě xiēの声調誤用の項目と共通して、日本語母語話者が苦手としているピンインのzが使われている。声調誤用の①に関しては、第一音声のzàiは正解しているため、問題となるのは、第二音節のqiànという音である。声調に誤用がみられないこと、そして、jiànという正しい声調とqiànという音は日本語のカタカナにしたときに似たような音であるため、誤用ではあるがこの声調で書く学習者がみられた。

②は、第一音節のピンインに誤用はあるものの、それより、第二音節のzènというピンインは、本来の正解であるjiànとまったく違う声調とピンインであるため、Bの意味が通じないと感じる中国語母語話者が多くみられた。

(三)発音誤用に関するまとめ

この調査は、日本語母語の学習者に対し、何ら事前準備もなく抜き打ちで行ったものであるため、学習者のありのままの現状を把握できる結果となっている。そして、全体的な結果として、ピンインや声調に関して誤用がみられても、中国語母語話者の多くは意味が通じると感じる傾向が強いことが明らかとなった。また、声調の誤用において、次のような特徴が挙げられる。

(1)全体的に声調の誤用があっても高い正解率がみられたが、“zhōng guó”の第一音節において“chóng”がピンインと声調のどちらにおいても大きな誤用があるとき、また、再见 (zài jiàn)の第二音節の“jiàn”が“zèn”に誤用されてしまうと、完全に違うピンインになる。したがって、中国語母語話者がリスニングをした際、前の文と後ろの文で意味を推測することができる可能性はあるが、正解率が下がる傾向がみられる。

(2)bù hǎoとPù hǎoのように、有気音と無気音は誤用がある場合もあるが、“bù”と“Pù”の第一音節の音で、“ù”の音と声調、また、第二音節のhǎoのピンインと声調が正確であるため、中国語母語話者による意味を聞き取れている割合が高かった。

(3)学習者は分からない語彙のピンインあるいは声調を書くとき、自分が本来知っている、語彙のピンインと似ていると主観的に考えたものを無理やりあてはめようとする傾向がみられた。例として飞机 fēi jīからbeiji、再见 zài jiànからzhài zenあるいはZei jian.などがあげられる。これは、授業数が少なく、普段、中国語の音に接する機会が少ないため、復習をしていないことの他に、リスニングをしても、瞬時に声調とピンインが結びつかないからということも考えられる。

(4)の2+4 :红色 hóng sèに関する声調の誤用のように、第一音節のピンインが正確で、第二音節の最初のピンインである“s”において多少誤用があっても、前文から意味伝達はできており、意味は通じている傾向が高いことがわかる。

(5)リスニング時のピンインの書き間違いや誤用からも、分からない聲調やピンインに回答しなければならない場合、ローマ字やピンインを補おうと考える傾向が多くみられた。しかし、多くの場合、誤用のあるピンインや声調につながる傾向が強く、初級学習者を教えるとき、ピンインはローマ字やアルファベットとは別物であることを伝えることが大切であると考えられる。すなわち、学習者は分からない単語があったとき、自分の既存知識を使用する傾向が強いことがみられた。

(6)これまでの先行研究でも多く取り上げられてきたことであり、本章でもみられた結果であるが、学習者では第二声から第三声の誤用、あるいは、第一声から第二声の誤用が多くみられる。しかし、実際に二声と三声の誤用に関しては、これらのデータを中国語母語話者に聞かせた場合、結果的に誤用があっても、中国語母語話者が意味を理解している割合が高いことが分かる。

(7)その他の傾向として、学習者は文字にして声調やピンインを書くときは、正解でも、実際に口に出してアウトプットする際、声調を誤用してしまうことが多くみられる。本来、アウトプットするということに対し、自信のない傾向が強い日本語母語話者が多いため、授業時間も制限されている中、結局は文字に頼ってしまう傾向が強い。結果として聞くこと、話すことを苦手とする学習者が増加することになり、ニーズの需要に適した会話を中心とした授業ができなくなることが多い。

先行研究においては、日本語母語話者が苦手としている声調に関するものは多く存在するが、日本語母語話者の誤用のある音声を中国語母語話者に聴かせ、その結果を第二外中国語教育に活かそうという調査や研究はこれまでなかった。それは、孤立語である中国語の教育において、四声や声調は他の言語にはない特殊なものであるため、誤用があっては絶対いけないという考えが強かったからではないだろうか。しかし、第二外中国語学習者の視点からみると、週2回という限られた時間の中で、中国語の声調を完璧にマスターすることは、学習意欲に負の影響を与えかねない可能性がある。すなわち、短い学習時間の中で学ばなければならないことが多くなり過ぎて、結果としてそれが負担となる。そして、多くの学習者は誤用することを恐れ、会話によるアウトプットができないということにも結びつくこともある。しかし、インプットした後、自分の口に出してアウトプットをしなければ、自分の発音に誤用があることに気づけず、修正することもできず、進歩することは望めないのではないだろうか。

今回、この第二外中国語学習者の発音に関する調査を通し、中国語母語話者58名のうち半数以上が、誤用のある声調でも意味を理解することができるという結果につながった。したがって、学習者の発音の誤用に関して、多くを指摘したり、無理に修正させようとするのではなく、むしろ完璧な声調で発音をすることが困難な状況においても、学習者が積極的にアウトプットをすることができる環境作りこそが重要である。発音に関してそのような環境を作ることで、学習者が会話によるアウトプットを通し、自らの発音についてより深い気づきが生まれ、その気づきによって自己表現に対する興味や、楽しみを増大させていくことにつながるのではないだろうか。

参考文献:

[1]陸麗青日本語教育における自己を表現する力の育成について?形式へのこだわり?意識の変容の考察を通して60~61.

作者简介:白煜,男,1984年4月13日,陕西西安,汉族,博士,单位:日本关西外国语大学,研究方向:语言文化,第二外语教育。

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