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宫泽贤治童话《ツェねずみ》人物形象分析

2018-08-18彭锡杨

安徽文学·下半月 2018年5期

彭锡杨

摘 要:本文通过文本分析的研究方法,分析了日本著名童话作家宫泽贤治的短篇小说“老鼠三部曲”之一《ツェねずみ》(老鼠菜)中,主人公“菜鼠”的人物形象以及作者的创作动机。

关键词:宫泽贤治 ツェねずみ 老鼠菜 老鼠权

在宫泽贤治的童话作品中,有许多以动物形象作为主人公,如猫、鸟、熊等,据统计共有近200种[1],这些动物形象有的出现在表现宗教思想的作品中,有的出现在表现自然的作品中。不过,老鼠的形象只出现在《クねずみ》(老鼠坤)、《ツェねずみ》(老鼠菜,也译为“老鼠权”或“老鼠次”,此处采用音译“老鼠菜”)和《鳥箱先生とフウねずみ》(鸟箱老师和老鼠胡)这三部作品中,因此这三部作品也被人们称为“老鼠三部曲”。

笔者认为,《ツェねずみ》是“老鼠三部曲”中最生动感人的一篇。虽然它只是一篇不到五千字的小童话故事,故事中对于人物情感的描写却很到位,想必创作灵感来源于作者的生活体验和细腻的内心感受力。本文将对这篇小说的高潮部分做文本分析,剖析“菜鼠”这一人物形象映射出的人性。

一、故事内容简介

故事的主人公ツェねずみ(下称中文译名“菜鼠”)是一只不分好坏的老鼠,不但不知感恩,造成了损失还把责任推到好心人身上。他的口头禅是“僕のような弱いものをだますなんて、あんまりだ。ってください。償ってください。”(你竟然欺骗我这么弱小的人,太过分了。请赔偿我,请赔偿我。)(译文为笔者自译,下同。)

黄鼠狼告诉菜鼠房间的壁柜里有金米糖可以捡,可菜鼠到那以后金米糖已经被蚂蚁搬走了,他便责怪黄鼠狼欺骗他并要求赔偿。慢慢的,动物们都不愿意再和菜鼠交往,于是他开始和工具来往。柱子有一天好心让菜鼠到他头顶上拿鸟毛取暖,可是菜鼠在爬柱子的途中摔了一跤;簸箕把剩下一半的食物给菜鼠吃,菜鼠吃了肚子疼;水桶送他洗衣粉,他洗脸后胡须掉了十根。菜鼠不但没有感谢它们的好心,反而责备柱子、簸箕和水桶欺负他,并大喊让他们赔偿,以至于工具们也不敢再和他来往了。

最后,具有讽刺意味地,菜鼠只能和捕鼠器交朋友。捕鼠器让菜鼠吃放在里面用作诱饵的食物,一天菜鼠吃了捕鼠器里发臭了的食物要求捕鼠器赔偿,捕鼠器气得发抖不小心关上了门,于是菜鼠被人抓住了。

二、菜鼠人物形象分析

下面是本文重点分析的小说片段,描写的是菜鼠和捕鼠器从相识到菜鼠被捕过程中三个晚上的相处场景。三个晚上是层层递进的关系,故事矛盾变得越来越激烈。菜鼠和捕鼠器每一晚的语言变化,反映出了双方的态度和情感的逐步变化。这个片段是整个小说的结尾部分和高潮部分,是导致菜鼠最终毁灭的部分,也是将菜鼠自我中心的性格表现得最淋漓尽致的部分。

ツェねずみはプイッと中にはいって、むちゃむちゃむちゃっと半ぺんを食べて、またプイッと外へ出て言いました。

「おいしかったよ。ありがとう。」

「そうかい。よかったね。またあすの晩おいで。」

次の朝、下男が来て見ておこって言いました。

「えい。えさだけとって行きやがった。ずるいねずみだな。しかしとにかく中にはいったというのは感心だ。そら、きょうはだぞ。」

そして鰯を半分つけて行きました。

ねずみ捕りは、鰯をひっかけて、せっかくツェねずみの来るのを待っていました。

夜になって、ツェねずみはすぐ出て来ました。そしていかにも恩に着せたように、

「今晩は、お約束どおり來てあげましたよ。」と言いました。

ねずみ捕りは少しむっとしたが、無理にこらえて、

「さあ、食べなさい。」とだけ言いました。

ツェねずみはプイッとはいって、ピチャピチャピチャッと食べて、またプイッと出て来て、それかららしく言いました。

「じゃ、あした、また、来て食べてあげるからね。」

「ブウ。」とねずみ捕りは答えました。

次の朝、下男が来て見て、ますますおこって言いました。

「えい。ずるいねずみだ。しかし、毎晩、そんなにうまくえさだけ取られるはずがない。どうも、このねずみ捕りめは、ねずみからわいろをもらったらしいぞ。」

「もらわん。もらわん。あんまり人を見そこなうな。」とねずみ捕りはどなりましたが、もちろん、下男の耳には聞こえません。きょうも腐った半ぺんをくっつけていきました。

ねずみ捕りは、とんだ疑いを受けたので、一日ぷんぷんおこっていました。夜になりました。ツェねずみが出て来て、さもらしく言いました。。

「あああ、毎日ここまでやって来るのも、並みたいていのこっちゃない。それにごちそうといったら、せいぜいの頭だ。いやになっちまう。しかしまあ、せっかく来たんだからしかたない。食ってやるとしようか。ねずみ捕りさん。今晩は。」

ねずみ捕りは、はりがねをぷりぷりさせておこっていましたので、ただ一こと、

「お食べ。」と言いました。ツェねずみはすぐプイッと飛びこみましたが、半ぺんのくさっているのを見て、おこって叫びました。

「ねずみとりさん。あんまりひどいや。この半ぺんはくさってます。僕のような弱いものをだますなんて、あんまりだ。ってください。償ってください。」

(下划线及重点符号由笔者所加,下同。)

从全文来看,菜鼠是一只自我中心的老鼠。考虑问题只从自己的角度出发,不换位思考,不考虑别人的立场和感受,具体体现在以下两个方面。

(一)对他人的好习以为常,不知感恩

从上文片段中划“ ”的部分可以看出菜鼠态度的变化。第一晚他吃完食物后还是心怀感恩地说“「おいしかったよ。ありがとう。」”(“很好吃,谢谢。”)可到了第二天晚上,菜鼠一出现就说:“「今晩は、お約束どおり来てあげましたよ。」”(“今晚,我又按照约定来帮你吃东西了哦。”)吃完后又“に言いました。「じゃ、あした、また、来て食べてあげるからね。」”(狂妄地说,“明天我又来帮你吃。”)从敬体的“あげました”到常体的“あげる”,仿佛来吃食物不是捕鼠器对他的恩惠,反而是他对捕鼠器施恩。到了第三晚,菜鼠的态度就更过分了,一出现他就“さもらしく言いました。「あああ、毎日ここまでやって来るのも、並みたいていのこっちゃない。それにごちそうといったら、せいぜいの頭だ。いやになっちまう。しかしまあ、せっかく來たんだからしかたない。食ってやるとしようか。ねずみ捕りさん。今晩は。」”(很了不起地说,“诶,每天来这里真辛苦。而且食物总是只有鱼头,都吃腻了。算了,既来之则安之,我就好心帮你吃了吧。捕鼠器,晚上好呀。”),这时菜鼠的语言已经从“食べてあげる”变成了礼貌程度最低的“食ってやる”。此时菜鼠不但不感恩,还说了一堆抱怨的话,这时他俨然已经觉得自己来吃捕鼠器给他的食物是帮了捕鼠器大忙了。

当菜鼠对捕鼠器的恩惠习以为常了以后,他就没有了感恩之心,反而更贪婪的有了更多的要求。这里写的是老鼠,讲的却是人性。警醒着我们要时刻保持一颗感恩的心,不要因为习惯了别人的付出,就视作理所应当。

(二)不懂得察言观色(空気を読む)

日语中有句俗语叫做“空気を読む”,即感知他人情绪的能力。自己就算菜鼠一时对捕鼠器的恩惠习以为常忘了感恩,如果他不是只活在自己的世界里,多关注一下捕鼠器的情绪和反应,那悲剧也不会发生。如果菜鼠能够在第二晚注意到捕鼠器的不悦,反省并及时调整自己的态度;在第三晚能够注意到捕鼠器情绪不佳,询问了解捕鼠器白天受到的冤枉,那他就不会那样出言不逊,以致遭受灭顶之灾。

从上文中划“ ”的部分可以看出捕鼠器的情绪变化。第二晚当菜鼠来说“来てあげました”的时候,“ねずみ捕りは少しむっとしたが、無理にこらえて、「さあ、食べなさい。」とだけ言いました。”(捕鼠器有点儿生气,不过还是忍住没有发火,只是淡淡地说“吃吧。”)这时捕鼠器克制着没有表现出不爽,当菜鼠说明天还来“食べてあげる”时,“「ブウ。」とねずみ捕りは答えました。”(“噗。”捕鼠器回答道。)这时捕鼠器的不悦已经用语言表达出来了,可菜鼠却像没听到一样没有任何反应。第三晚来时,捕鼠器受到主人的冤枉生了一天气,脸色已经很难看了,话也懒得多说一句。“ねずみ捕りは、はりがねをぷりぷりさせておこっていましたので、ただ一こと、「お食べ。」と言いました。”(捕鼠器气得钢丝“嘎嘎”作响,只说了句:“吃吧。”)菜鼠在这时还是没有感知到捕鼠器的情绪,后来还因为吃了臭鱼大喊大叫让捕鼠器赔偿他,因此导致了最后的悲剧。

这告诉我们,在现实生活中,我们也应该多关注和感知他人的情绪,以此来反省和调整改善自己的行为。

三、作者的写作动机

作者对被要求赔偿者的内心感受也同样有着非常生动的描写:黄鼠狼是“プリプリ”(气呼呼)、簸箕是“あきる”(厌烦)、捕鼠器是“思わず、はり金をりゅうりゅうと鳴らすくらい、おこる”(忍不住气得钢丝“嘎吱嘎吱”响),他们感到的是愤怒;水桶是“すっかり参ってしまって、泣いてあやまりました”(争论不过他,只好哭着道歉),柱子是“困ってしまって、おいおい泣きました”(很为难,呜呜地哭了起来),他们内心感到的是委屈和难过。

宫泽贤治曾免费为当地农民提供化肥和科学耕种方法,却由于天气等自然条件原因收获不佳,部分农民对宫泽贤治提出要求赔偿。[2]笔者认为,宫泽贤治这篇小说的写作动机很有可能就是来源于这个经历。当宫泽贤治好心帮助农民却被要求赔偿时,他想必也是满肚子的愤怒和委屈。所以,宫泽贤治在描写上述人物的感受时一定是感同身受的,于是通过写童话故事的形式诉说和发泄自己内心的情感。

四、结语

宫泽贤治在童话中虽然描写的主角是动物,刻画的却是现实中的人性。他通过对菜鼠的刻画,反映出了对他人的好习以为常不知感恩的人性特点。他还通过菜鼠不得善终的结局,告诫人们特别是孩子们这么做会导致的恶果。童话的一个功能是教育和引导孩子,这篇童话成功地做到了这一点。它丝毫没有严肃的教育口吻,而是以轻松诙谐、生动活泼的方式,让读者切身地体会到不知感恩的后果。

参考文献

[1] 谭雨萌.宫泽贤治童话中动物的象征性[D].武汉:华中师范大学,2013.

[2] 周婷婷.日本作家宫泽贤治理想中的英雄观——《不怕风雨》中的木偶形象[J].湖北科技学院学报,2015(1).