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火野葦平の『聊齋志異』翻案研究
——「王六郎」を例に

2017-11-25林欣彤

长江丛刊 2017年15期
关键词:人間

林欣彤

火野葦平の『聊齋志異』翻案研究
——「王六郎」を例に

林欣彤

火野葦平「王六郎」の中で、古典的な内容を語る語り手のほか、戦後の火野を代弁する語り手が混在している。それをとおして、火野が公職追放中に経験した、世間から疎外された不安と、戦後社会と人間への不信感が暗喩されたと考えられる。

聊齋志異 公職追放 翻案 アレゴリー

一、はじめに

火野葦平「王六郎」は、昭和二四年十月十二日に『別冊小説新潮』第三巻第十二号に向井潤吉に挿絵を入れられて、発表された『聊齋志異』の翻案小説である。暮安翠が、『中国艶笑風流譚』における八つの話のあらすじを紹介し、火野の艶笑譚集を「小説をつねに面白く愉しくという葦平の意図が最も発揮された」作品であり、そして「もっと自由に自分も心を遊ばせた」ものであると評価したが、流行作家としての再出発といえるこのような艶笑譚が、「果たして葦平にとって幸せだったかどうか、わからない」と、疑問を投げていた。それについて、増田が火野の聊齋翻案に対し、「摩訶不思議な物語をパロディー化し、見事な近代人間ドラマを創ったのである」と評し、主に戦後火野の社会と人間に対する皮肉を言及した。

しかし、今まで火野の聊齋翻案研究は主に火野の改変特徴に重点を置かれていたが、火野が中国古典を受容する姿勢と火野の翻案自身がどのような物語構造を持つかなどの問題についてが論じられておられなかった。また、物語表象と戦後批判のサブテクストがいかに連動していくのかについて、火野翻案のトリックも明らかにされていなかった。本稿は、主に火野の中国古典への受容姿勢に着目し、当時火野の他作品も視野に入れて、その思想の変哲を検討しながら、「王六郎」におけるアレゴリーのテーゼがなにゆえ設定され、作中でどうのように具現されているのかという問題について考察してみる。

二、儒教思想のパロディー化

『聊齋志異』の作者蒲松齢は、家庭環境の原因で、幼少時から儒学の影響を受け、その重要思想である仁徳思想が後に『聊齋志異』の作品に浮き彫りとなった。儒教の仁徳思想が『聊齋志異』における一つの反映として、鬼神と人間との友情が多数の作品に描かれ、人間が鬼神に恩情を施し、鬼神が恩恵を受けまた恩返しをするような仕組みが多く見られ、第一巻における「王六郎」はまさにその一例である。火野が自分自身の翻案姿勢について、「この本の八つの物語は、いずれも、この「聊齋志異」を書きあらためたものである。といって、無論、翻訳でもなく、注釈でもなく、まったく別個の私の小説であって、創作と称してもさしつかえないものだ」と説いている。冒頭は物語の発生地についてこのように語り手がこのように語っている。

……魏江は人喰川と昔から呼ばれ、ひとたび、流れに足を辷らせた者の、助かったのを聞いたためしがない。

『聊齋志異』原話の冒頭には、物語の発生地を淄川という中国山東省淄博市の地方、つまり蒲松齢の生地、儒教の誕生地に設定した。火野版では、淄川付近に魏江という川が設定され、「魏江」を「真っ赤」な「人喰川」として設定し、原話における記号の意味を更新し、その人を殺める危険性を提示した。『聊齋志異』原典の各篇の物語は、紀伝体を多用し、『史記』のように主人公の名前を題目にした物語が多い。ゆえに、原話の「王六郎」も、王六郎を中心人物として物語を展開したが、火野版では許を中心人物に設定し、王六郎は許を引き立てる役割を果たしている。火野が自分の終戦後追放を受けたとき、「聊齋志異」に対する思いをこのように語り、「私は窮して、救いを「聊齋思異」に求めた。そして、柴田氏版を参酌しながら、自分流に勝手に書きあらためた「私版聊齋志異」物語を時折りものした」とあり、また「私の頭上に暗雲があったときに、いかに「聊齋志異」がよき友であったかと感謝の念がおさえがたいのである」

と説いている。

三、逆転の仕組み

以上から見てきたように、「王六郎」において、許が王六郎から漁獲のお礼をもらって、裕福になったころ、原話は許は幾度王の好意に応えて、『聊齋志異』にありふれた「恩返し」の構造で物語を完結させ、読者を満足させたが、火野版では突然の出来事によって、物語の流れを逆転し、さらに破綻な結末へと導き、読み手に悲劇の空虚感を与える。

……絢爛、整然としていた隊列は、たちまち混乱して、阿鼻叫喚の巷と化した。林も、家も、人も、車も、絹も、金も、酒壺も、よいどれ旋風にまきあげられ、叩きつけられた。

ここで、原話の旋風を泥酔した旋風にするによって、許が招かれ財宝をもらったという喜劇が逆転され、一気に悲劇へと突入する仕組みとなった。暮安翠がその結末の破綻について、「いささか救いが感じられないのは元の物語がそうなのかもしれない」と評した。原話の仁愛を描く物語は理想的で、美化されたものに対し、火野の翻案はその理想的な衣の背後に秘められたよりリアリスティックな、人間の真実を反映したものであると捉えられるであろう。「王六郎」、「画壁」、「恋と牡丹」、「鸚鵡変化」、「白い顔に黒い痣」の五作は、すべて逆転の構造によって、物語の結末を破綻の方向性へと導く傾向がある。

四、戦後へのアイロニー

以上のように、それらの「逆転」は突然起こした出来事であるが、ただしその突如とした「逆転」以前には、もはや伏線が埋められていて、常に読み手の推測を宙吊り状態にしながら、物語を進行させようとした。

衣食足って礼節を知る――ところが、中国の礼節への奉仕が、つねに好色的であったことは、……ことに、最近のようなインフレ時代では、恋愛に大変金がかかる。……そして、世界的助平スビドオリガイロフが、……

饒舌の語り手が戦後を物語るまえに、まずは中国の箴言を語り、それをパロディー化の態度で引用し「好色的」と評しながら、日本の戦後事情をも道化な視点で皮肉しようとしている。火野が援引した「衣食足って礼節を知る」というのは、儒教の古典『孟子・梁恵王上』における名句であるが、その意味としては、衣食が足りてから、人々ははじめて礼節に気を配れるということである。それを、火野が非常に滑稽な口調で「好色的」と呼び、しかもその恋愛問題を提示したのは、戦後のインフレ時代を揶揄するためである。

「最近のようなインフレ時代」が指摘したのは、敗戦直後のインフレであり、戦後社会の経済問題を皮肉している。例えば、1951年の「牢獄」において、「やがて次第に悪性インフレがはじまって、囚人一日の副食代も、十五銭から二十五銭、九十銭と鰻のぼりになったが、それは一日の燃料代にも足りなかった。」といった記述のように、火野がインフレを悪性な経済問題として捉える。さらに、『罪と罰』の主人公スヴィドオリガイロフを助平として滑稽気味に描いたのも戦後人間像へのアイロニーを反映している。

五、終わりに

火野の「王六郎」は、原話とはまっ逆な視点で、悪人を中心に物語を展開し、また混在された戦後事情の語り手により、オポチュニズム、パンパンガール、インフレなどの戦後事情を批判した。ゆえに、「王六郎」という作品は、単なる中国古典から改編された神仙、妖怪の怪奇小説ではなく、火野の中国古典受容の姿勢を現前させ、公職追放中火野が、パロディーにで物事を解決する態度が垣間見える一作として捉えたほうが妥当である。

[1]火野苇平.火野苇平选集:第八卷[M].东京:东京创元社,1979

[2]暮安翠.葦平の艶笑譚と怪奇推理小説――さらなるテーマ、エロス幻想について,あしへい13 特集葦平と若松[Z].葦平と河伯洞の会,2010(12)

[3]増田周子.火野葦平〈画壁〉考——〈聊斋志异〉との比較を中心として[J].国文学(95),2011(02.

[4]彭海燕.〈聊斋志异〉中的鬼神报恩[J].黑龙江教育学院学报,2012(06):128.

[5]火野苇平.あとがき,中国艳笑风流谈[J].东京文库刊,1951

[6]周先慎.说王六郎.[J].文史知识,2012(04):80。

[7]火野苇平.三十年の愛読書[J].定本聊斋志异月报(三),1955.

[8]火野苇平.王六郎[J].中国艳笑物语[J].東京文库刊,1951.

(作者单位:厦门大学外文学院)

本文系教育部人文社科青年项目“司马辽太郎的战后民族主义逻辑”项目编号:0650-X1015001的阶段性成果。

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