APP下载

“人間万事金世中”と“空薫”における断定表現について

2017-05-12蔺敏

南风 2017年14期
关键词:人間万事

蔺敏

1 はじめに

河竹 黙阿弥は、江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者。本名吉村芳三郎。俳号其水(きすい)。江戸·日本橋の商家4世越前屋(えちぜんや)勘兵衛の長男に生まれる。河竹黙阿弥について、坪内逍遙(しょうよう)は「真に江戸演劇の大問屋なり」と称賛していり、河竹登志夫は、「黙阿弥は江戸歌舞伎作者の最後の人であり、同時に近代戯曲への過渡期における一つの礎石となったのであった」と評している。『人間万事金世中』(明治12年)は、黙阿弥の最初の翻案散切り物である。そしてこの作品は登場人物が多彩であり、明治初期の話し言葉の資料としてふさわしいものだと考えられる。

大塚 楠緒子は明治末に活躍した歌人、作家。美学者·大塚保治の妻。東京控訴院長·大塚正男の長女。東京女子師範附属女学校を卒業後、佐佐木弘綱·信綱の元で和歌を学んだ。1895年、小屋保治と結婚(保治は大塚姓になった)。雑誌『太陽』1905年1月号に日露戦争に出征した夫の無事を祈る妻の心情を歌った「お百度詣」を発表した。また万朝報や朝日新聞に連載小説を発表するほか、ゴーリキー、メーテルリンクなどの翻訳や、絵画、ピアノなど多才であり、才色兼備と言われた。楠緒子の死後、夏目漱石は「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」という句を詠んだ。『空薫』は、「東京朝日新聞」明治四十一年四月二十七日から五月三十一日まで三十五回にわたり毎日連載された。夏目漱石の推薦によるものである。

2 先行研究

明治時代語の実態は、岩淵悦太郎、松村明、森岡健二、池上禎造、中村通夫、山本正秀、吉田東朔の諸氏をはじめとする先学の個人研究と、国立国語研究所近代語研究室の標本抽出法及び全数調査による巨視的研究とによって、その言語体系の輪郭が明なになってきた。それにしても、今日までの明治時代語研究は、手探りの状態であり、模索の時代であり、まだ明らかにしていなかった問題点が多い。

3 研究の目的

本稿は、断定表現という視点から、『人間万事金世中』と『空薫』この両作品を分析することによって、明治初期と明治末期の言葉遣いの実態を明らかにしたい。なお、ここで特に断定表現を取り上げたのは、先行研究によって、その使い分けには当時の身分、階層、職業など違いが強く反映されているという指摘があるからである。

4 調査対象と調査方法

『人間万事金世中』と『空薫』におけるすべての会話文を調査対象とする。その中の断定表現を取り上げ、その使用状況を男女別、身分、年齢、話し手、聞き手別などの側面から考察していく。それぞれの使用状況を明らかにした上で、さらにその断定表現の変化を明らかにしたい。

5 断定表現について

ここでの断定表現とは断定の助動詞のことである。『国語学研究辞典』によれば、断定の助動詞は、一つのある事柄の内容が、他のある事柄の内容と同等するものであることを示す助動詞で、指定の助動詞ともいう。肯定の判断を表すものである。(何らかの意味で、文末あるいは中止文末にはいつも一種の断定判断はあるものであるから、広義に見れば、その広がりは大きいというべきであるが、否定や推量の判断の表現形式の混入したものは、一般に取り上げていない。二つの事物間に同等、類似が認められるという判断は、比較作用によって得られるものであるから、比況の助動詞もこの断定の助動詞の一分野に属すべきものであるが、これは比況の助動詞として別に掲げるのが慣例になっている。)これに属する語は、古典語で「なり」、「たり」、現代語で「だ」、「である」、「じゃ」、「や」、「です」などである。

本稿では、この表一、表二、表三を參考しながら、断定表現の使い方を登場人物別に考察して行く。

5.1 『人間万事金世中』における断定表現

各表現の特徴については、使用度数の高い順に見ていく。

「だ」

「だ」は141例あり、そのうち官吏は74例、町人34例、若様林之助10例、奉公人8例、女では、おらん14例、おしな1例である。目下への使用が多い。男性のすべてのグループが使用しているのに対して、女の使用例は極めて少ないのである。具体例は、次のとおりである。

5.1.1 これ、大きな聲だな。(P293 林之助→宇津)

●「でござります」●「でござりまする」●「でござりませう」 ●「でございます」●「にござります」●「にござりまする」

以上の六つの断定表現はそれぞれ31例、22例、13例、3例、2例、1例、合計72例である。

「でござります」:林之助は10例、奉公人は5例、町人は7例、下男1例で、女では、おらん1例、おしな1例、おえい1例である。

「でござりまする」:官吏は2例、林之助6例、奉公人7例、下男2例、女では、おくら3例、、おしづ1例、おえい1例である。

「でござりませう」:林之助6例、町人3例、女では、おらん1例、おしな1例、おくら1例である。

「でございます」:林之助1例、奉公人1例、女では、おえい1例である。

「にござります」:官吏は1例、奉公人1例である。

「にござりまする」:下男1例である。

そのうちの67例は、目上または同輩に用いている。残りの5例は目下に用いている。そして、「にござります」と「にござりまする」は、女の使用例はない。具体例は、次のとおりである。

5.1.2 皆さん御苦労でござります、お茶でも上がってお出かけなさい。(P257 えい→皆)

5.1.3 いえ喰潰しとおっしゃりますゆえ、奉公に出ると申しましたのが、なんでふて勝手でござりまする。(P263林之助→おらん)

5.1.4 そりゃそうでもござりませうが、明日それを御菩提所へ、(P286藤七→林之助)

5.1.5 ほんにお前さん方三人に、汲んで来たのでございますよ。(P257 えい→荷介、電吉、鐵造)

5.1.6 わたくし始め二人とも、中年者にござりますゆえ、(藤七→梅生)

5.1.7 へい、左様にござりまする。(P277 下男→臼)

●「ぢゃ」

「ぢゃ」は27例あり、そのうち官吏は6例、林之助8例、町人7例、女では、おらん1例、おしな3例、おくら2例である。同輩または目下に用いている。具体例は、次のとおりである。

5.1.8 あ、いや、必ず構はっしゃるな、他人ではない親類中に、馳走振りはいらぬことぢゃ。(P279 勢→林之助)

●「であらう」●「である」●「でござる」

この三つの断定表現は、「であらう」は8例、「である」は6例、「でござる」は6例、合計20例である

「であらう」:官吏は7例、林之助は1例である。

「である」:官吏は2例、林之助は1例、奉公人は1例、おらんは2例である。

「でござる」:官吏は5例、おらんは1例である。

この三つの断定表現は、同輩または目下に用いている。その20例の中で、官吏の使用例は14例で、もっとも多い。女性の使用例は3例にすぎなく、そして、全部おらんという人物が使っている。具体例は、次のとおりである。

5.1.9 これ、五郎右衛門どの、其の遺言状當てにならぬ、如何にこなたが読まっしゃるとて、おのれの田へのみ水引き、此の臼右衛門に傳言のみとは、當ずっぽうを読むのであらう。(P274 臼→五郎)

5.1.10 お前さんは奉公人と違って現在の甥御さんでありながら、私共同様...(P259 荷介→林之助)

5.1.11 ...末期に一目逢わぬのが、まことに残念な事でござる。(P267 勢→藤太)

●「でござんす」●「でござんせう」

この二つの断定表現は、「でござんす」は12例、「でござんせう」は3例、合計15例である。

「でござんす」:おしな8例、おくら4例である。

「でござんせう」:おらん1例、おしな1例、おくら1例である。

「でござんす」と「でござんせう」はすべて女の用例である。その15例の中で、若者の使用例は14例で、年上の使用例はただ1しかない。具体例は、次のとおりである。

5.1.12 揃いも揃ってあの衆は、情を知らぬ人でござんす。(P291 おくら→林之助)

5.1.13 たいがい相場が知れて居れば、百圓位でござんせう。(P275 おしな→おらん)

5.2 『空薫』における断定表現

各表現の特徴については、使用度数の高い順に見ていく。

「です」

「です」は99例あり、そのうち、官員は2例、男の学生は42例、雛江は35例、雛江の伯母は2例、庫子は1例、泉子は2例、伊豫は5例、喜多は10例である。すべてのグループが使用している。男の使用例は44例、女の使用例は55例である。そして、その99例の中で、若者の使用例は89例、年上の使用例は少ない。雛江という人物は當代の才媛と言われているので、知識人に属する。男の学生と泉子は学生であるから、もちろん知識人に属する。だから、その99例の中で、知識人は79例、もっとも多いのである。具体例は、次のとおりである。

5.2.1 伯母様、それは若い方ですわ、...(P298 喜多→伊豫)

●「だ」

「だ」は82例あり、そのうち、官員は1例、知識人47例(男の学生は27例、雛江は18例、泉子は2例)、雛江の伯母は8例、庫子は16例、、伊豫は3例、喜多は6例、平尾の母は1例である。すべてのグループが使用している。知識人の使用例は最も多い。男の使用例は28例、女の使用例は54例である。具体例は、次のとおりである。

5.2.2 あれは君、有名な才媛だ、写真で見たより美人だ、(P284 平尾→輝一)

●「ぢゃ」

「ぢゃ」は44例あり、そのうち、官員は42例、学生は1例、喜多は1例である。同輩または目下に用いている。官員の使用が最も多く、女性の使用例は極めて少なく、1例にすぎない。具体例は、次のとおりである。

5.2.3 この間、仏蘭西公使から貰うた酒ぢゃ、(P316 輝隆→清村)

●「でせう」

「でせう」は35例あり、そのうち、知識人32例(學生15例、雛江は17例)、伊豫は1例、喜多は2例である。知識人の使用がもっとも多い。そして、その35例の中で、若者の使用例は34例、年上の使用例はただ1例である。また、同じ文脈においては、「です」を用いる場合がある。具体例は、次のとおりである。

5.2.4 ええ、清村さんの所ですから、御悠然なさるのでせう。(P327 雛江→輝一)

●「でございます」

「でございます」は27例あり、そのうち、官員は1例、雛江は6例、庫子は2例、伊豫は16例、喜多は2例である。同輩または目上に用いている。女性のすべてのグループが使用しているのに対して、男性はほとんど使用していない。その官員の1例は、清村が雛江に対するとき使用したのである。具体例は、次のとおりである。

5.2.5 御覧遊ばせ、御本が澤山いものでございます、(P297 伊豫→庫子)

●「でございませう」

「でございませう」は9例あり、そのうち、雛江は2例、庫子は1例、伊豫は6例である。「でございませう」は「でございます」より謙遜って古風な言葉であり、やや改まった場面で使用している。全部女の使用例である。具体例は、次のとおりである。

5.2.6 熱海は、ずっとお暖かでございませう、(P301 庫子→雛江)

●「でいらっしゃいます」

「でいらっしゃいます」は5例あり、そのうち、雛江は1例、篠澤は1例、伊豫は3例である。全部女の使用例である。その中の4例は目上に用いている。残りの1例は、篠澤が結婚式場で雛江に輝一を紹介するという改まった場面で同輩に用いている。また、同じ文脈においては、「でございます」を用いる場合がある。具体例は、次のとおりである。

5.2.7 貴女は大層お手細工がお上手でいらっしゃいますって、ちっと私も教えて頂きたいものでございます、(P309 雛江→庫子)

●「でいらっしゃる」

「でいらっしゃる」は1例で、老婢の用例である。具体例は、次のとおりである。

(22)旦那様も好い御歳を遊ばして、飛んだ花聟さんでいらっしゃる、(P299 伊豫→庫子)

6 まとめ

本稿では、明治初期の『人間万事金世中』と明治末期の『空薫』における断定表現の特徴について考察してきた。本稿で論じたことを次のように要約しておこう。

まず、『人間万事金世中』における断定表現の使用状況をまとめると、次のようになる。

(1)「だ」は男性のすべてのグループが使用しているのに対して、女性がほとんど使用していない。目下への使用が多い。

(2)「でござります系」(注1)はすべてのグループに使用されている。ただし、その中の「にござります」と「にござりまする」は女性に使用されていない。目上または同輩に用いている。

(3)「ぢゃ」はすべてのグループに使用されている。同輩または目下に用いている。

(4)「であらう」「である」「でござる」は、官吏がもっとも多く使用している。そして、女性がほとんど使用していない。同輩または目下に用いている。

(5)「でござんす」「でござんせう」は、女性だけ使用している。そして、ほとんどは若い女性が使用している。

さらに、『空薫』における断定表現の使用状況をまとめると、次のようになる。

(6)「です」「でせう」は、知識人がもっとも多く使用している。そして、ほとんど若者が使用している。

(7)「だ」は知識人がもっとも多く使用している。

(8)「ぢゃ」は官員がもっとも多く使用している。そして、女性がほとんど使用していない。同輩または目下に用いている。

(9)「でございます」「でございませう」「でいらっしゃいます」「でいらっしゃいまする」は1例しか、全部女性が使用している。目上または同輩に用いている。

最後、『人間万事金世中』と『空薫』における断定表現の相違点をまとめると、次のようになる。

(10)「だ」の使用範囲が広くなった。『人間万事金世中』では、女性の使用例はほとんどないが、『空薫』では、女性も多く使用してきた。そして、『人間万事金世中』では、男のすべてのグループに使用されているのに対して、『空薫』では、男の使用頻度が減った。

(11)「です」と「でせう」が使用している。『人間万事金世中』では、「です」と「でせう」はまた使用していない。ただし、『空薫』では、すべてのグループが使用してきて、特に、学生や若者に多く使用されている。「です」について、和久井生一は、「「です」はもともと太鼓持ちや芸者や、そういった人たちが用いていたといわれるが、彼らに接した学生たちが、その言葉を東京の言葉として、その句調の良さをまねているうちに、日常の言葉になったと思われる。」と分析している。

(12)「ぢゃ」の使用範囲が狭まった。『人間万事金世中』では、すべてのグループに使用されている。『空薫』では、ほとんど官員だけが使用していて、そして、女性の使用例は極めて少なくなった。

(13)「でござります系」は女性の使用度が高くなった。『人間万事金世中』では、「でござります系」はすべてのグループに使用されている。『空薫』では、「でござります系」の中の「でござります」「にござります」「でござりまする」「にござりまする」「でござりませう」は使用していなくて、「でございます」「でございませう」「でいらっしゃる」を使用していて、そして、ほとんど女性が使用している。

(14)『空薫』では、「であらう」「である」「でござる」「でござんす」「でござんせう」は使用していない。その中で、「である」は書き言葉として広く使用されてきた。

以上、『人間萬事金世中』と『空薫』における断定表現の使用状況について考察した。しかし、登場人物の人数、身分、年齢と会話の場面に限られるので、説得力は不十分だと思われる。また、明治初期と明治末期の言葉遣いの実態を明らかにするのに、ただ二つの作品を分析するのは不十分だと思う。したがって、今後はほかの作品を考察して、多くの側面から研究してみたい。

注:「でござります系」とは「でござります」「でござりまする」「にござりまする」「にござります」を指す。

作者简介:

西南航空职业学院

猜你喜欢

人間万事
人间最美是潇湘
森林人间塾
老树别秋
雪 峰
有求必应
有求必应
心如大海,万事化小
二则
爱在人间
涂普生