日本語における性差の扱い
2017-02-25徐思思
徐思思
【摘要】日本語には男ことばと女ことばがある。性によって言語づかいは違っていることである。社会言語学の面から、ことばの男女差がどのように変わるか探した。
【关键词】男ことば 女ことば 性差 言語差
日本語には男性がよく用いる言葉と女性がよく用いる言葉がある。それを「男ことば、女ことば」と呼んだりする。「私」という意味を表わす語を例として、日本語にはいろいろある。たとえば、「あたし」「俺」「僕」「うち」などである。そして、「俺」「僕」というような言葉は女性がほとんど用いない。それで、日本語には女性がよく用いる言葉は男性がよく用いる言葉と違っていることが分かる。『社會言語学』の中で、
男女の間で使用することばに相違が見られることは、日本語の一つの特徴であると思われている。会話における日本語は、、文字にした場合でも、話し手が男性であるか女性であるかが分かるのがふつうであるとされる。
(『社会言語学』 おうふう 一九九二年)
のように、述べている。
しかし、男ことばと女ことばとはどんなものかはっきりとした定義はない。「漢語に基づいた、仰々しくぞんざいで粗野な印象を与えることば」を男ことば、それとは対照に、「和語に基づいてやわらかく丁寧なことば遣い」を女ことばの定義とする学者がいる。そして、
標準的規範の方向へ向けての変化の度合は女性の方に比較的高いことが明らかになっている。一方、最近各地で新しく発生しつつある、いわゆる新方言と呼ばれる形式のうち、特に、文体的に低く、改まった場面では使いにくいと意識されているものについては、圧倒的に男性の方に使用度が高いことが指摘されるのである。
(『社会言語学』 おうふう 一九九二年)
上のように主張している学者もいる。
実は、次の言ったとおり、男ことばと女ことばをはっきり分けるとは限りない。
日本語の場合、男女ことばで共通する部分は多く、終助詞や美語化の変化で、男女ことばを差異化していた。(中略)「男性はXという話し方、女性はYという話し方」という二項対立的な捉え方は、あまりにも単純化された見方であるといえる。
(「男ことば·女ことばとジェンダー」飯野公一など くろしお出版 二〇〇三年四月)
なぜかというと、「女ことば」は死滅の道をたどっているのに対し、「男ことば」はまだ多くの男同士に用いられていることからである。しかも、「女ことば」の使用者はある年齢範囲内にしか用いられていない。つまり三〇代を境にそれ以上の女性は「女ことば」を使用するのに対し、それ以下の女性は「女ことば」の使用が少なくなるとはいえる。これに対して、「男ことば」はまだ幅広い年代の男性に用いられていることが確認された。
ことばの男女差は年々縮まる傾向にある。男女双方が歩み寄って用語や表現が中性化しつつあるというよりも、基本的な流れとしては、女性専用の語がすたれ、これまで男性が主として使ってきた普通のことばを、男女共通のことばとして、女性も自由に使うようになってきている、という現象と受け止めてよいであろう。
(『日本語概説』加藤彰彦 桜楓社 一九九〇年二月)
上の言ったように、最近女性の言語使用域が広がっている。
このようにすると、日本語の性差があるかどうかという疑問をもつかもしれない。この問題について、検討している学者が多くいる。たとえば、
男性、女性に対する固定的な役割期待が薄れ、男女雇用機会均等法をはじめ制度面においても男女差をなくそうという社会全体の傾向のなかで、ことばの面でも男女差をなくそうとする動きが目立ってきたようにうかがえる。男性が男ことばを、女性が女ことばを使うという枠組み自体消失していく可能性さえある。「男らしさ」「女らしさ」をことば遣いのうえで強制されてきた時代から開放され、ジェンダーレスな社会へと変遷していくのであろうか。
(「男ことば·女ことばとジェンダー」飯野公一など くろしお出版 二〇〇三年四月)
のようなものがある。そして、インターネットで、
男ことば、女ことば、という性による下位文化の言語差もかなりちぢまってきたようである。もちろん、日本語が男女差ゼロのところまできた、というわけではない。男女差は、たとえば語尾などに生きている。しかし、ひとむかしまえにくらべると、男の使うことばと女のことばと、かさなり合う部分がかなり大きくなってきたようである。男ことばが女性化したのか、女ことばが男性化したのか、あるいは、男女にとらわれない中立的なボキャブラリーや語法を人びとが意識的にえらびとっているのか、その経緯はよくわからない。たぶん、それらが互いにむすびあって一種の中性的な言語をつくりあげたのであろう。そして、たとえば、英語などに男ことば、女ことばがないのとおなじように(英語でも、女性が使ってはならないとされていることばはいくつかあるが)、遠からぬ将来に、日本語もまた、性による言語差のほとんどない言語になってゆくのかもしれないのである。
上のようなものを探した。これから、ことばの男女差がどのように変わるか分かると思う。
参考文献:
[1]加藤彰彦.『日本語概説』(桜楓社 一九九〇年二月).
【基金项目】本项研究成果受到天津市教育科学“十三五”规划课题“天津市外语类慕课质量评价体系研究”(课题编号:HEYP5027)的资助。