弱者の物话—夕颜という女性を中心に—
2015-08-20熊林红
要旨:生まれつき繊細な神経の持ち主である夕顔は人との争い事に耐えられない女性である。しかし、そのような彼女は作品において恵まれない境遇や理不尽な立場に立たされている。その結果、若くして儚く世を去ったのである。夕顔の物語は、いわゆる弱者の人生を描く悲劇的な物語である。そして、このような社会的・精神的な弱者を描くことが源氏物語の創作の一つのモチーフとなっている。
キーワード:夕顔 弱者 境遇
文献标识码:A
文章编号:1671-864X(2015)03-0074-03
はじめに
夕顔は、『源氏物語』第四帖の主な登場人物である。彼女は故三位中将の娘で、頭中将の元愛人、光源氏と出会ったときは乳母の家を転々としている漂泊の身の上であった。光源氏の愛人になった後も、互いに素性を明かさぬまま、幼い娘を残して世を去ったのである。そのような彼女について、これまでさまざまな角度や視点から考察がなされ、すでに夥しい研究成果があげられていた。本稿では、これまでの先行研究を踏まえながら、夕顔の置かれている境遇に注目し、物語において繰り返し語られている彼女の性格の特徴及びその意義について考察を行いたい。その上、作者の創作意図も考えてゆきたい。
心細い境遇
夕顔は、雨夜品定めの折に頭中将が告白した恋の失敗談の相手として初めて物語に登場する。彼女は頭中将が「いと忍びて見そめたりし(①帚木 81頁)」人であり、二人の関係については「ながらふべきものとしも思ひたまへざりしかど(同上)」としか考えていなかったと語られている。世間には内密にして通いはじめた人で、長続きする仲とは考えていなかったというのである。つまり、頭中将としては夕顔を公認の妻として待遇するつもりはなかったようなのだ。一方、夕顔のほうでは、頭中将を頼りにしていたようだ。「絶え絶え忘れぬものに思ひたまへしを、さばかりになれば、うち頼めるけしきも見えき」(①帚木 81頁)」とあるように、訪れの途絶えがちな頭中将をそれでも頼りに思っている様子であったというのである。それは彼女の本心であったろう。彼女は両親のいない「心細げ」な境遇に置かれていた。夕顔にとっては頭中将よりほかに頼る人がいなかったのであろう。
親もなく、いと心細げにて、さらばこの人こそはと事にふれて思へるさまもらうたげなりき(①帚木 81頁)
「いと心細げにて」というのは頭中将から見た、もしくは感じた夕顔の様子であろうが、「親もなく」というのだから、実際問題として経済的にも精神的にも「心細げ」な状況にあったことは彼女の実情であっただろう。夕顔という女性は、その後の光源氏との交際においても「心細げ」な境遇から脱することはできなかった。そして、彼女を考察するうえでは、彼女が終始「心細げ」な境遇に置かれていることを念頭においておく必要があるだろう。
夕顔の父親が三位の中将であったことは、のちに夕顔の乳母子の右近によって明かされることになる。故三位の中将は生前、娘である夕顔を後宮に入れたいと考えていたらしい。しかし、自分自身の出世も思うにまかせぬまま亡くなってしまった。そして、その死後、頭中将が通うようになって、三年ほどの月日がたち、二人の間には女の子が生まれていた。
ところが、頭中将には右大臣の四の君という嫡妻がいて、夕顔に対して「情けなくうたてあることをなむさるたよりありてかすめ言はせ(①帚木 82頁)」ていたのである。四の君側から人を介して夕顔を脅迫していたらしい。夕顔はこれにおびえて「むげに思ひしをれて心細かりければ(①帚木 82頁)」と思い悩んだあげく、自分の「心細」い窮状を歌に託して頭中将に訴えた。
①山がつの垣ほ荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子の露(①夕顔 82頁)
②うち払ふ袖も露けきとこなつに嵐吹きそふ秋も来にけり(①夕顔 83頁)
①の歌、「山がつの家の垣根は荒れていても、何かの折々にはお情けの露をかけてくださいませ、その垣根に咲くなでしこの上に」は、わが子に慈愛の情をかけてくださいと訴えたものであり、②の歌、「夜がれの床の塵を払う袖も涙で濡れている私に、嵐までが吹き加わって、飽きて捨てられる秋もやってきました」の「嵐吹きそふ」は、頭中将の北の方からの脅迫を示唆している表現である。しかし、彼女の苦しい状況を頭中将は気づいてやることができなかった。それまでのように気楽に構えているうちに、夕顔は幼い子供を連れて姿を消してしまったのである。
夕顔の訴えが頭中将に届かなかったように、夕顔の思いが光源氏にも伝わらなかった。光源氏は彼女の家にいくときは、わざと粗末な車をつかい、人に見られないように、いつも白い布で覆面していて、夕顔と二人きりの時でも、それをとらないという用心深さである。その結果、互いに素性を明かさぬまま、夕顔ははかなく世を去ったのである。夕顔がこのような理不尽な立場に立たされていた女性であることをまず確認しておきたい。
繊細な性質
常に「心細げ」な境遇に置かれている夕顔は「もの怖ぢ」の人でもあった。「も
の怖ぢ」というのは「物事にひどく怖がること。ものおそれ(『日本国語大辞典』小学館)」ということである。夕顔は物事に対してむやみに怯え恐れる性分であったので、頭中将の嫡妻から脅迫されると、「せん方なく思し怖ぢて」(①夕顔 186頁)というように、異常なほどの心理状態に追い込まれてしまったのである。
顔の「もの怖ぢ」という性格は、作品では繰り返し語られる。夕顔巻で、光源氏が「いざ、いと心やすき所に、のどかに聞こえん(①夕顔 154頁)」と言って、夕顔を五条の隠れ家から連れ出すときにも、夕顔は家を出るのを怖がっていた。
なほあやしう。かくのたまへど、世づかぬ御もてなしなれば、もの恐ろしくこそあれ(①夕顔 154頁)
某の院に着いときにも、同乗してきた右近が「艶なる心地」で、華やいだ気持ちになるのだが、夕顔のほうは「山の端の心も知らで行く月はうはの空にて影や絶えなむ」と返歌して、不安な心持ちでいることを吐露し、「心細くて」と口にする。そして、その有様についても「もの恐ろしうすごげに(①夕顔 160頁)」と語られている。その後、夕方になって、部屋の奥の暗いところを「ものむつかし(① 夕顔 163頁)」と感じて、恐怖心がいよいよ高まり、「物をいと恐ろしと思ひたるさま(同上)」という極限の状態に達するのであった。
そして、この巻のクライマックスの場面で、夕顔が物の怪に取り憑かされた時に、右近が「もの怖ぢをなんわりなくせさせたまふ本性にて、いかに思さるるにか(①夕顔 164~165頁)」と言っているように、「もの怖ぢ」は夕顔の「本性」であることが強調されるのである。夕顔があっけなく命を落としてしまうことになるのも、この「もの怖ぢ」という「本性」に起因しているという設定である。
中島あや子氏は、この「もの怖ぢ」という性格は、夕顔の感受性の強さを表すものであると説き、夕顔は「人より一倍豊かな感受性 」の持ち主であると言及される。たしかに、頭中将の嫡妻から後妻打ちを受けたときに「せん方なく思し怖ぢて」という心理状態に追い込まれたというのも、彼女の感受性の強さを表しているのだろう。夕顔は外部からの刺激に対して過敏な人で、繊細な神経の持ち主である。そして、作者はかなり意識して夕顔を「もの怖ぢ」の女性として語っている。しかし、考えさせられるのは、このような設定には何らかの理由があったのではないかということである。
弱者の物語
新間一美氏は、夕顔が頭中将に「山がつ」の歌を詠んだ場面の描写には白楽天の新楽府の中の「陵園妾」の投影があると指摘されている 。「陵園妾」は、宮中の女性から嫉妬されたために皇帝の墓の管理役として幽閉されたヒロインの孤独の心境を描くものであるが、夕顔と漢詩の中の女性とは権力ある妻の嫉妬を受けていることなどにおいて共通しているとされるのである。そして、夕顔も幽閉されたヒロインも弱者であることは間違いないであろう。
また、土方洋一氏は「夕顔の女の人物造型は桐壺巻における帝と更衣の関係を光源氏と女の関係に重ね合わせることによって規定されている 」と言及し、夕顔は「桐壺更衣の造型の延長線上に構築されている」と述べられる。たしかに、夕顔と桐壺更衣とは、共通点が多い。その一つとして、二人はともに身分の高い男性に愛されたことが原因で無念の横死を遂げた女性であることが挙げられる。
帝の専愛を受けた桐壺更衣は、今をときめく右大臣の娘、弘徽殿の女御をはじめとする宮中の女性達からの圧迫によって、身も心も病み、死に至ったのである。一方、夕顔も権力をもった女性たちからの圧迫を受けて死んでしまった。夕顔を取り殺した物の怪の正体が、六条の御息所の生霊であるのか否か、従来さまざまな説があるのだが、ここでは、物の怪の言葉に注目してみたい。
かくことなることなき人を率ておはして時めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ(①夕顔 164頁)
この物の怪は夕顔のことを格別なこともない身分の女と言って「いとめざましくつらけれ」と訴えている。「めざまし」という言葉は、意外なものを見て、目をみはる感情で、卑者を見下す階級意識を潜める場合が多い 。物の怪は夕顔のことを身分の卑しい女として見下し、光源氏がなぜそんな女を寵愛するのかと憤っているのである。
桐壺更衣の死も、弘徽殿女御たちの圧迫による精神的なダメージに起因するものだった。夕顔が物の怪に取り憑かれてあえなく世を去ったのも、かつて頭中将の嫡妻から脅迫を受けたことによる異常な恐怖の心理状態が起因しているのだろう。身分差という社会的な現実と、自身の心の弱さという個人的な資質が要因となって、桐壺更衣も、夕顔も恋人との関係を維持することができずに、もろくもこの世から去っていったのである。
また、故常陸宮の姫君としての末摘花や、故衛門督の娘としての空蝉も、それぞれに性格が違うけれども、夕顔と同じ宿命に悩み、同じ苦悩を嘗める女性として語られる。中野幸一氏が説くように、作者はこのような「没落層の苦悩と哀愁に、より心を惹かれ」、「強く関心を抱いていた 1」ようである。
作品において、空蝉・末摘花・夕顔の三人の女性のみならず、後に登場する明石の君も中の品に属する女性である。また、中の品ならずとも、紫の上、花散里、六条御息所など、この物語に登場する女性の多くは現在の境遇に恵まれない女性ばかりである。作者はこうした中の品の女性や不遇な女性に関心をもち、その心のあり方をより深く追求しようとしているのである。そして、注目すべきは、紫式部の父、藤原為時は中流貴族で、紫式部自分も「中の品」の女性であるということだ。当時、結婚の適齢期は十五、十六であったらしいが、紫式部の結婚は、彼女が二十六歳の時であったと推定されている。相手は彼女より二一歳年上の藤原宣孝という年老いた受領であった。彼女の結婚について、島津久基氏は「宣孝が同族ではあり、父為時と親交もあって、屡々来往する中に互いに相知つたと想像することが許されはしまいか 4」と述べられている。また、角田文衛氏は、紫式部の結婚について「自由恋愛という夢を、心の隅に抱きながら」の結婚であって、「自由恋愛などによるものではなく、基本的には見合い的な結婚であった 5」と説かれている。残念ながら、夫婦の縁を結んだものの、二人の婚姻生活は円滑にいかなかったらしい。角田氏によると、宣孝の本邸には、朝成の娘、つまり宣孝の正妻が住んでいたため、紫式部がそこに居を移さなかったのである。そして、結婚して三年で宣孝が病死し、二九歳ほどの若さで紫式部は子連れの未亡人となってしまった。
このような作者の経歴からみると、紫式部は身分・恋愛・結婚において決して恵まれていなかったと言える。『紫式部日記』や『紫式部集』に、わが身の憂さを歎く言葉が多いのは、それゆえであろう。『源氏物語』において、数々の辛酸と哀愁を嘗めた不遇な女性の内面をよく捉えているのは、作者が現実の生身の人間を鋭く観察していたこと、なにより彼女自身が不遇の体験者であったこととも関係していると思うのである。そして、夕顔の物語も、このような作者の創作意識に基づいて造型されていると思われる。おわりに
「心細げ」な境遇に立たされている上に、「もの怖ぢ」といった生まれつき繊細な神経の持ち主で、人との争い事に耐えられない。これは夕顔である。そして、読者を哀傷の調べに引き入れた夕顔の物語は、いわゆる弱者の人生を描く悲劇的な物語である。そして、このような社会的・精神的な弱者を描くことが源氏物語の創作の一つのモチーフとなっているように思われるのである。
(Endnotes)
1 『源氏物語』の引用は、『新編日本古典文学全集』により、括弧内に巻数・巻名・頁数を示す。以下同様。
2 『新編日本古典文学全集 』『源氏物語』① 小学館185頁 頭注19 3 『新編日本古典文学全集 』『源氏物語』① 小学館82頁4 『新編日本古典文学全集 』『源氏物語』① 小学館83頁5 中島あや子「夕顔考」『源氏物語の構想と人物造型』笠間書院2004 年1月
6 新間一美「夕顔の誕生と漢詩文」『源氏物語の探求』風間書房1980年
7 土方洋一「夕顔の女と物語の生成」『人物造型からみた源氏物語』志文堂1998年
8 『新編日本古典文学全集 』『源氏物語』① 小学館 164頁頭注5
9 中野幸一「中の品の女ー帚木・空蝉・関屋・夕顔」『国文学』解釈と教材の研究 学灯社 1987年11月
10 島津久基 『譯對源氏物語講話』 巻二 中興館蔵版1936年
11 角田文衛「紫式部の結婚」『紫式部伝』「その生涯と『源氏物語』」法蔵館 2007年