黄色と紫色から見た中日の伝統文化相違——高貴の観念を中心として
2015-08-15罗俊超
罗俊超
(1.广西大学外国语学院,广西 南宁 530004;2.玉林师范学院,广西 玉林 537000)
0 はじめに
世界に生きる人間は、目の辺りに豊かな色彩に囲まれて生活している。いろいろな色があるこそ、人間はあれこれの物が区別と認識できる。それで、色彩によって自分の感情を表すことができる。中国は五千年あまりの歴史を持つ古い国である。中国の伝統文化の発展に伴って、中国特色伝統文化である色彩文化も形成し、発展した。例えば、黄色と紫色への尊崇などがそれである。
日本は中国と一衣帯水の隣国であり、中国の伝統文化の影響を深く受けている。日本自身の島国地理生活環境、宗教習俗、審美観念など原因によって、色彩についての認識と理解も少ならずの相違がある。例えば、日本人は紫色と高貴の象徴とされている。
中日両国の色彩文化についての研究は多数ある。
(1)張誌春(2001)「中国服飾文化」は中国の歴史色彩文化の発展が詳しく研究した、
(2)杉本正年「中国古代の服色及び思想背景」は思想の起源、色彩の尊卑観念及び正色、中間色いうもの、服色から礼の制度と異端を見る三つ方面から、古代中国の服色反映した尊卑観念と陰陽五行説の関係を研究した。
(3)王瑞林,王鶴(2007)「笑侃東瀛——日本文化新視角」は日本色彩文化の歴史と特徴について大体研究した、
(4)大冈信(1979)「日本の色」色と文芸 芸能、色の文化史、世界の色と日本の色三つ部分から日本の色を分析した。その中で、紫色と黄色の文化意味はだいだい説明された。
(5)呉東平(2000)「色彩と中国人の生活」は色彩と人類の生活、色彩の情感と象徴、及び色彩と解釈できない縁な民族など内容を記述した。
(6)劉榮(2004)「从色彩審美意識比較中日民族性格」は「赤い、黄色」と「白い、青い」から二つ対比色として、それぞれ、中日両国違う色彩審美意識を代表して上に、色彩と民族文化心理の内在連係を分析して、さらに中日の民族性格を比較した。
(7)董氷(2005)「汉日颜色词的文化视角研究」は主に中日色彩語の文化意味の共通点と相違が生じた原因を詳説した。
以上の論著が各種の色から色彩文化の象徴意味或いは色彩語の分類から色彩文化の説明に限定されている。黄色と紫色を中心として、高貴色の面で中日の文化相違を分析することがあまりない。
本稿は対比と例証の方法で、色彩の黄色と紫色を例にして、高貴の象徴文化を中心として、中日における黄色、紫色の文化の面から中日の色彩文化の相違を分析する。その上で、中国の伝統文化思想は日本の社会発展方向をひっそり変わしたたという事実を強調する。
1 黄について
1.1 中国における黄
1.1.1 『周易·坤』に『天玄而地黄』と記され、朱熹集传『诗,绿衣』に『黄,中央土之正色』と記されている。①
周知のように、中華民族は黄河流域に発祥している。ここの土は黄色を示すため、『天玄地黄』という言い方がある。古代中国の春秋時代から戦国時代にかけて確立されたといわれる五行思想では、黄は「木、火、土、金、水」の真ん中の土にあげられる。
古代では、土地は人類生活の根本的な存在であり、黄色の土は農産物豊作、人口及び畜繁栄の保証であった。黄河流域に生きてきた中華民族は、黄に対して、畏敬の感情とともに、尊敬の感情を抱いている。
1.1.2 黄色——中国では高貴の色且つ帝王の専用色
中国は二千年あまりの封建社会の長い歴史があるが、黄色は帝王に独占され、最も高貴で、最も尊敬のある色彩としての地位も長く続いた。
呉東平(2000)は[黄が中国の封建社会で尊敬すべき色だと定められ、崇高、尊敬、輝かしいなどの意味を持っているため、隋の時代から、黄は帝王専用の服色となった。そのとき、どれだけ高い地位にある官史でも、黄袍を着てはならない。さもなければ、大逆無道と見なされ、死刑に処せられるのである]②と述べた。
黄帝から服飾によって、天下を政理することをはじめとして、続いた各王朝はその慣例を沿って、隋から黄を帝王の服色になって、唐時代になると黄色は皇室だけに使える。そのあと、黄色は帝王専用の色という慣例が中国で千年にも変わらずの制度になる。歴代にわたって、黄色への崇拝はますます膨れ、封建時代の最後の二つの時代――明朝と清朝時代になると、黄色を盛んに使う時代を迎える。皇帝に着た服は「黄袍」、載ったのは「黄屋」、歩く道は「黄道」、外出巡るのは「黄旗」、官印を包むのは黄色織物。庶民は絶対に黄色の服飾を着たことができない。皇帝の親戚だけ黄色の屋根の建物に住んだことができ。最も代表としては、明朝と清朝時代の皇室に住んだ故宮即ち紫禁城と呼ばれる。北京の景山を登ると、故宮の屋根に黄色の瑠璃瓦がふんだんに使われる。黄色の瑠璃瓦がぎらぎら輝いているという壮大な建築物を目に入る。
1.2 日本における黄
日本人の伝統審美意識中で黄色はあまり好まない。大昔の日本の基本色彩は「赤、黒、白、青」四つの色だけある。③「黄」はその中に含まれていない。聖徳太子が冠位十二階④を定めたのは、中国の隋の制度を取り入れたもので、この五行思想の「青、赤、黄、白、黒」に、最上の紫を加えて六段階、それに濃淡をつけて十二の冠位になる。濃黄、薄黄はそれぞれ七位、八位という位階になっていた。
ところが、大化三年(647)の改正では、黄色は冠位から消えてしまっていた。そればかりか、『日本書記』によれば持統天皇七年(603)の正月に、「是の日に、詔して天下の百姓をして、黄色の衣を服しむ」とあり。養老二年(718)の『養老律令』「衣服令」には「制服、無位は皆皀の縵の頭巾。黄の袍」とあった。こうしてみると、黄色系が尊ばれなくなったとも言えない。
少なくとも、中国に似た黄の文化意味を発展させるのは情理に合うように思われるが、古代日本人は中国と反対に、独自な黄――庶民の色の文化意味を創造した。
2 紫について
2.1 中国における紫
先秦で、紫色はあまり儒教に好きではない。『論語·陽貨』は「子曰:恶紫之夺朱也」④大体の意味は、紫色に赤色の地位を奪うのはとても恨みのこと。孔子は儒教の初発人である。それで、儒教から見ると、赤は正色、主役、紫色は脇役。脇役に主役の地位を奪うのは不合理なことである。
ところが、道家では、紫色を崇拝した。『黄庭·内経』は「四气所宿,紫烟上下三素云」と述べる。道家から見ると、紫の気は即ち瑞祥の気、聖の気。道家で、紫だけ尊ぶと見される。それに、「紫気東来」と言う言葉は世の中で流行る。
道家の影響で、古代帝王も紫に別の愛がある。張誌春(2001)の中で、隋唐時代は服飾の色彩によって官品の尊卑を分けるという品色衣制度があるという記載した。唐時代は隋時代の品色衣制度を継ぎ、630年に、三品以上の官員は紫色の服を着て、六品と七品の官員は緑の服を着て、八品と九品では青い服を着たという規定がある⑤。明時代後、紫色はだんだんに重視すれないことになった。紫色は以前と同じくない、消極意味を持っているからである。それ以外、皇室の建築物は「紫台」、「紫宮」、「紫庭」、「紫禁宮」などと呼ばれる。 代表的として最もあるものは紫禁城である。高い壁に紫色を塗って、権威と神聖の意味を象徴する。
前述の通り、中国では、黄色と紫色共に高貴の色として考えることが明らかになった。
2.2 日本における紫
日本語に、紫はまったく色彩を指さなくて、ムラサキを指すことである。社会発展につれて紫であることとする。
奈良時代から、日本で紫色はある価値標識になって、高貴な身分を象徴した。七世紀初、聖徳太子が冠位十二階を施す。冠位十二階は冠位の色によって官職高低を代表する。その中で、最上位を代表したのは紫色である。
平安時代になると、紫色は貴族階級に大好きな色になった。『和歌集』のなかでは、紫についての言葉は大体40ところがある。日本平安時代で王朝物語の代表作としての『源氏物語』、筆者は紫式部。主人公の愛する女の子は「紫上」とよばれる、こうから見ると、紫色は古代女性の美を含む。
中世紀になると、紫色の意味は宗教内容を加えた。「幽居しつつ/野僧の家を/出づること無く/白屋は三間にして/紫霞に護られたり/」⑥こういう詩がある、この中の「僧家」は仏教用語である。江戸時代で、『角川国語辞典』に「紫は江戸を代表する色であるから、紫屋で江戸の染物屋を指す」という注釈がある。紫色はこの時代に好きな色になったということが分かる。
前述から見ると、奈良時代から今日まで、日本では、紫色はいつも高貴、瑞祥の象徴と見做される。それと同時に、宗教の息も溢れる。
3 おわりに
以上述べたように、色彩文化中の黄色と紫色に、中国と日本の高貴な色の象徴意味はいろいろな共通点もあれば、相違点もある。
中国と日本は一衣帯水の隣国であり、両国間の交流はもう長い歴史がある。それで、古代伝統文化の方で、いろいろな共通点あるのはもちろんなことである。色彩中の黄色と紫色におけて、古代中国で黄色は高貴の色且つ帝王の専用色であるが、日本では中国と反対に、独自な黄――庶民の色の文化意味を創造する。しかしながら、両国とも紫色は高貴の色と見做される。
[1]大冈信.日本の色[M].朝日出版社,2001.
[2]杉本正年.中国古代的服色及其思想背景[J].成都大学学报,1995.
[3]董冰.汉日颜色词的文化视角研究[D].解放军外国语学院,2005.
[4]刘笑明.日本国家概况[M].南开大学出版社,2007.
[5]钱国英.从文化的角度看中日颜色词的异同[D].湖南大学,2005.
[6]张志春.中国服饰文化[M].中国纺织出版社,2001.
[7]吴东平.色彩与中国人的生活[M].团结出版社,2000.
[8]王安安.古代制度中服色的文化内涵[J].文博,2000(03).
[9]王瑞林,王鹤.笑侃东瀛——日本文化新视角[M].南开大学出版社,2007.
注釈:
①王瑞林,王鹤.笑侃东瀛——日本文化新视角[M].南开大学出版社,2007:102.
②吴东平.色彩与中国人的生活[M].团结出版社,2000.
③王瑞林,王鹤.笑侃东瀛——日本文化新视角[M].南开大学出版社,2007:41.
④张志春.中国服饰文化[M].中国纺织出版社,2001:30.
⑤张志春.中国服饰文化[M].中国纺织出版社,2001:55.
⑥张志春.中国服饰文化[M].中国纺织出版社,2001:23.