日本における外国人儿童·生徒の母语教育に关する研究と课题
2009-04-28李炯里
【摘 要】上世纪80年代后期,随着居住在日本的外国人的不断增多,在日本的中小学校中就读的外国人子女人数也逐渐增加。因此,以这些外国人子女为对象的研究也十分活跃。特别是在日语教育和二语习得领域有很多的研究成果。不过,单就母语教育研究领域来说关注度相对较低。本文以这些母语不是日语的孩子为研究对象,通过对1990年之后的研究文献的分析,就他们在日本的母语教育问题进行考察。从而在此基础上揭示为什么需要母语教育以及母语教育的现状和所存在的问题。
【关键词】日本 中小学生 母语教育
はじめに
1980年代後半以降から、留学生、外国人労働者、海外勤務による一時的滞在者などのニューカマーが増加した。そのため、小中学校には日本語を母語としない児童·生徒が急増した。文部科学省の調査注1では、日本語指導が必要な外国人児童·生徒は平成19年度22,413人、平成17年度の20,692人より1,721人(8.3%)増加している。こうした日本語教育をが必要な子どもに対する、日本語教育は学校内外でかなり進みつつある。しかし、日本語教育を行う同時に、母語の保持と伸張のための教育が必要であると考える。本稿では、日本における外国人児童·生徒の母語教育に関する研究を考察する上で、なぜ母語教育が必要であるかを明らかにし、また母語教育の実態と問題点を見ていく。その際、1990年代以降の文献を中心に検討するが、それは1980年代後半以降から、多くの外国人児童·生徒が日本の公立学校等に入学するようになったことに対応し、外国人児童·生徒を対象とした研究が盛んになるからである。
日本における外国人児童·生徒を対象とした母語教育を中心とする研究はまったくないと言えないが、非常に少ない。ただ、外国人児童·生徒の日本語習得について研究するにあたり、母語の問題を無視することができない。また、バイリンガル教育研究において母語の問題を切り離したのでは、研究が成立しないであろう。そこで日本語習得研究、バイリンガル教育研究のような、母語教育に多少関連する研究文献を収集して分析を行った。
これまでの母語教育に関わる研究を見ると、二つの視点からの研究に大別できる。それは日本語教育、バイリンガル教育といった言語教育の視点からと、多文化教育の視点からの研究である。文献研究では以上のような分類法になることはやむをえないかもしれないが、実際の研究にはそれらの両方の視点が入りまじる研究が少なくないであろう。
1.なぜ母語教育が必要か
まず、なぜ母語教育が必要かという問題を明らかにしたい。言語教育の視点から見ると,日本の研究者たちは母語の役割を認め、まだ母語保持と育成の必要性も強調している。ただ,ほとんどの理論的な根拠がVygotsky、Cummins、Bakerなどの欧米研究者の研究成果によるものである。
Vygotsky(1962)は、「外国語学習が成功するためには、母語にある程度、習熟していなければならない。子どもは母語においてすでに身につけている意味体系を新しい言語へと転移することができる。」と主張している。このような見解によると、太田(2001)は、第二言語(日本語)習得において母語の一定レベル以上の能力が不可欠の要件であるということを述べている。
前述のVygotskyの主張と共通点があるCummins(1984)の「二言語の相互依存の原則」(Linguistic interdependence principle)によると、母語と第二言語(本稿では日本語)は相互に依存しており、母語は第二言語の、特に学習言語(読み書き能力や認知面、学校の教科学習に関わる言語)の発達の基礎を成している。そして、これらの理論を基に、一方では第二言語習得研究や、他方では母語教育の必要性を説いたものも見られる。
(1)教科学習の面から
杉田(1998)は、「母語での教育が第二言語による教科学習の基礎となり、それを助けるものとなる可能性」があるということを示唆している。宮島(1999)も、「教科の日本語へのアクセスにおいては、意外にも母語の役割が重要になってくる」と述べている。このような教科学習の面から母語の重要性を示している。
(2)認知の面から
岡崎(2002)は、「もし母語が保持され使い続けていける場合には、すでに発達を遂げた認知の能力は保持され、認知面での継続が可能になる。」と指摘している。また、池上(1994)、榎井(2000)、太田(1996)も、子どもの認知発達にとって母語は積極的な作用を与えることも論じている。
(3)情意文化の面から
もう1人の言語学者Baker(1996)は、「少数派言語(母語)で読み書きができること、言語の背景にある伝統や文化に触れ、それを受け継ぐことが可能になる(中略)自分たちの文化に根をおろすことで自信を持ち、自分たちの文化を知ることでその世界観を獲得し、自己のアイデンティティを確立して、知的な感情移入ができるようになる」と述べている。その理論を参考しながら、池上(1994)は、中国帰国者の子弟に対する研究の中で、母語は彼らのアイデンティティ形成、帰属意識に大きな影響を与えることを明らかにする。また、母語は親世代とのコミュニケーション手段であり(池上、1994)、一つの文化資本である(宮島、1999)ので、親子のコミュニケーションの障害を避けるために、文化の伝達を途絶しなくなるために、保持する必要があろう。
(4)権利の面から
1994年に日本政府が批准した「子どもの権利条約」第30条では、「民族上、宗教上もしくは言語上の少数者または先住民が存在する国においては、当該少数者または先住民に属する子どもは、自己の集団の構成員と共に、自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し、または自己の言語を使用する権利を否定されない」ことを明記している。また、国連総会が1990年に採択した「移住労働者とその家族の人権保護条約」では、「雇用地国は、移住労働者の子どものためにその母語および文化の教育のために便宜を図るよう努力しなければない」ことを規定している。こうした条約に照らし合わせると、下村(1993)、村田ら(1994)、太田(1996)、中島(1998)、小川(2005)などは、多言語、多文化を尊重する多文化教育の視点から子どもの権利として母語教育が必要であることを指摘している。
2.母語教育の実態と課題
日本では、最近、ようやく、日本語習得の媒介語として母語への関心が高まっている(佐藤、2001)。ただ、ここで「媒介語」という言葉に注意しなければならない。すなわち、母語に対する関心は、母語を保持する、伸長する目的としての関心ではなく、日本語習得の補助手段だけの関心である。母語教育の現状について、下村(1993)は、公立学校の正規の教育課程で、外国人児童·生徒に対する母語教育母文化教育を行っていないと述べている。齋藤(2005)も、「現在、日本においては、外国人の子どもたちの母語育成を保障する法的制度的な条件はまだ整っていないが、母語の重要性に対する認識は徐々に広がり、母語教室も増加している」と示している。また、榎井(2000)が指摘するように、子どもの母語指導ということになると、外国人学校や一部の自治体や企業、個人、ボランティアなどが個々に奮闘しているのが実態である。このような個々に努力している状況は、一定の限界があろう。例えば、石井(1999)は、『神奈川県内の母語教室調査報告』で母語教室の継続について、財政面、場所の確保、教師の確保、教材の不足、時間の少なさなどのいくつかの困難点を示した。
公立学校の枠内で母語教育を実施すれば、確かに制度、予算措置などの困難があるが、志水(2001)によると、たとえ週1~2時間でも、選択の時間や放課後に、子どもに母語を学ぶ機会を与えることが大きな意味があろう。また、宮島(1999)、佐藤(2001)らは、学校教育の中で多文化教育の考え方を持ち、母語母文化学習に配慮しながら、新しいカリキュラムを開発することの必要性も提言している。しかし、母語教育は学校だけで対応できないので、地域、行政またボランティアと連携して、柔軟なネットワークをつくるのは今後の課題になろう(佐藤、2001)。
しかし、これまでの研究に、学校と地域社会との関わりに注目しているが、家庭内の母語教育を取り出すのはまだそれほど多くないと感じる。そして、子どもの母語保持伸長のため、家庭は有効な「資源」としてネットワークの一環になり、利用できるようにすることも今後の課題だろう。
以上、二つの視点から日本の研究を見てきたが、日本における母語教育については、その必要性、特に権利としての母語教育の必要性の主張が見られる。実際に母語教育の実態が十分に把握されていないし、その実態把握をもとにした具体的なあり方も十分に検討されていない。母語教育の実態、その効果などを把握していくことは課題になる。
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作者简介:李炯里,女,贵州大学外国语学院日语系讲师,硕士研究生,主要从事日语教育和日本社会文化研究。
(作者单位:贵州大学外国语学院日语系)